ゴミ屋敷だった私の部屋が、驚くほど綺麗になった理由

ゴミ屋敷だった私の部屋が、驚くほど綺麗になった理由


 

私は片付けが大の苦手だ。

実家にいるときは両親に怒られ、結婚してからは妻に怒られ、職場では上司や先輩に怒られてきた。

生まれて36年間、片付けに関しては良い思い出がほとんどない。

 
だが、片付け能力がゼロというわけではない。

むしろ、共用スペースなどは、人一倍綺麗にするように心がけている。

 
職場でバーベキューをやれば、真っ先にコンロの掃除をするし、家でもリビングなどの家族共用スペースを汚したりはしない。

 
 
つまり、片付けられないのは、共用スペースではない場所。

私の部屋や引き出しの中などだ。

 
こちらに関しては自分でも酷いと自覚している。

どれだけ酷いかといえば、警察官が腰を抜かすほどだ。
 

警察官が腰を抜かすほど部屋が汚かった

大学生の頃に「空き巣」に入られたことがある。

 
家(アパートの5階)に帰って、玄関のドアに鍵をさしたら、鍵が回らない。

新聞受けの隙間から、中を覗くと明かりがついている。

 
誰かが家の中に入った、もしくは、今もまだ家の中に誰かがいる。

すぐにそう理解した。

 
動揺しつつも、とりあえず警察と鍵屋さんに電話すると、ありがたいことにすぐに来てくれた。

 
壊れた(?)鍵を鍵屋さんが開けてくれることになったのだが、後ろを向くように指示される。

鍵を開ける作業は、一般人には見せられないらしい。

 
後ろを向いていると、鍵はすぐに開いた。1分もかからなかった。

「プロの手にかかれば、鍵なんてあってないようなものだな」

そう思うと、若干恐怖も感じた。

 
警察の方が、警戒しながら家の中へと入っていった。

 
「これはひどい!かなり荒らされてるぞ!」

 
奥からそんな声が聞こえてきた。

 
私も恐る恐る中に入っていった。

家の中に人はいなかった。

張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

 
部屋を見渡してみると、なんと、ほとんど荒らされていない。

タンスの中身が崩れ落ちていたが、目立ったのはそれくらいだった。

 
一方、警察の方は真剣な表情で

「こりゃひどいな。かなり荒らされたな・・・。」

そうつぶやいていた。

 
 
警察の方は「かなり荒らされた」と感じている。
私は「そんなに荒らされていない」と感じている。

 
つまり、もともとの私の部屋が「誰かに荒らされた」と勘違いするほど、汚なかったということだ。

 
 
「いや~、普段から部屋はこんな感じっす」

申し訳なさそうにそう伝えると、警察の方から笑みがこぼれた。

あまりにも汚かったので、逆に喜んで頂けたようだ。

このときは、空き巣被害に遭ったとは思えないほど会話が弾んだ。

 
ただ、犯人がいるかもしれない部屋に先陣をきって突入するのは、警察の方といえども恐ろしかったはずだ。そう思うと感謝の気持ちしかない。その警察の方にも、世の中の警察の方にも。

 
 
だが、このときは普段通りの部屋を見られてしまった。

さすがに友人を家に呼ぶときには、ある程度は部屋を片付けている。

厚化粧の女性が不意にすっぴんを見られてしまった。そんな感じだろうか。ちょっとバツが悪かった。

 
でも、よくよく考えると、空き巣がちょっと不憫にも思えてきた。

リスクを冒して侵入しているのに、入った先はメチャクチャ汚い部屋。しかも、金目のものはそれほどない。

 
このときは、壊れかけたパソコン1台と現金3万円(親からの仕送り)が盗まれた。

500円貯金箱に数万円貯まっていたのだが、こちらは盗まれなかった。

気付かなかったのか、それとも、コツコツと貯めたお金を盗むのに気がひけたのか。後者なら、そもそも、空き巣なんてやるなと思ってしまうが・・・。

 
ただ、このときにわかったのは、どんな家でも空き巣に狙われる可能性があるということだ。

学生の家なんて、普通に考えたら金目のものなんて置いてない。

にもかかわらず、私の家(賃貸アパート)は狙われてしまった。

 
それ以来、盗まれて困るものは家に置かないようにした。(実際は、何でも盗まれたら困るのだが、被害が最小限になるように心がけている。)

この記事を読まれている方も、空き巣には注意した方が良い。

空き巣のエキスパートが本気を出せば、おそらく、どんな家でも侵入できてしまう。

 
 
「空き巣に入られることはない」

と考えるよりも

「自分の家は常に空き巣に狙われている」

そう考えることをおススメする。

そんな私が部屋を綺麗にできた

さて、話がだいぶ逸れてしまった。

本題は「ゴミ屋敷だった私の部屋が、驚くほど綺麗になった理由」だ。

 
先述のように、私の部屋は警察官が腰を抜かすほど汚い。

それは社会人になってからも変わらない。

少し前まではその状態だった。

 
だが、今は違う。

 
自分でいうのもなんだが、今の私の部屋はメチャメチャ綺麗だ。

家の中で一番きれいになっている。(だが、オシャレではない。)

 
一番驚いているのは妻だ。

妻は、私が部屋を片付けられないことを承知で結婚してくれたわけだが、当然、快く思っていたわけではない。

妻が、私の部屋に来ることは滅多になかった。

 
だが今は、ことあるごとに私の部屋に立ち寄るようになった。

どうやら、物凄く快適らしい。空気が良いらしい。

 
このような感じで、私は劇的な変化を遂げることができた。

これまでの人生の中で一番変わった瞬間かもしれない。

 
この記事では、36年間も片付けられなかった私が、どのようにして片付けれるようになったのか。

そのことについて紹介したいと思う。

部屋を片付けようと思ったきっかけ

きっかけは、このブログだ。

ブログの基本的な目的は、誰かの悩みを解決すること。

このサイトでもそれを心がけている。

 
ある日、ブログのネタを考えているときに、

「自分の悩みを解決できれば、それがそのまま誰かの役に立つのではないか」

「自分の悩みは一体何だろう」

ふとそう考えるようになった。

 
楽天的な性格なので悩みはそれほどないのだが、苦手なことなら数えきれないほどある。

その中で一番根が深そうな問題を探してみた。

 
そこで辿り着いたのが「部屋を片付けられないこと」だった。

 
私の部屋の汚さは自他ともに認めるレベルだ。(とはいってもテレビに出てくるようなゴミ屋敷ほどはひどくない。)

 
そして、世の中には私のように部屋を片付けられない人が一定数いることも知っている。

まれに「病気」のように捉えられてしまう人もいる。

部屋を綺麗に出来る人達からしたら、そう見えてしまうのだろう。

 
見下され、蔑(さげす)まれ続けるのは、なかなかつらい。

部屋を綺麗に出来る人達は、相手が傷付いていることに気付きもしない。「我が正義なり」と、人の心の中にどんどん攻め込んでくる。

 
もし、私が部屋を綺麗に出来るようになれば、同じように苦しんでいる人達に何かを伝えられるかもしれない。

 
それをモチベーションに、「部屋を綺麗にすること」にチャレンジしてみた。

なぜ部屋を片付けられないのか?

「なぜ部屋を片付けられないのか?」

その原因について考えてみた。

原因がわかれば、対策すればいいだけだ。

 
だが、すぐにわかるような原因であれば、とっくに改善できているはずだ。

おそらく、この問題は根深い。

そう思い、かなり真剣に考えてみた。

もしかしたら人生で一番頭を使ったかもしれない。

 
そして、1つの結論に辿り着いた。だが、それは致命的なことだった。

 
 
私は、別に部屋を片付けたいとは思わないのだ。綺麗な部屋に全く魅力を感じないのだ。

 
そのことに気付いてしまった。

 
 
部屋を片付けたいと思ってないのに、部屋を片付けれるはずがない。

 
部屋を片付ける目的は、おそらく、快適さや便利さを向上させるためだ。

だが、私は汚い部屋でも、別に不快ではないし、不便を感じない。

補足すると異臭がしたり、虫(例えば、ゴキブリやハエ)が湧くような部屋は、さすがに耐えられないが、その一線さえ越えなければ(不衛生でなければ)、どんなに汚い部屋でも全く気にならない。

 
私は、綺麗な部屋を見ても何とも思わないのだ。(綺麗な景色なら見たいと思うのに。)

 
 
さて、この私の考えについてどう思われただろうか?

 
「何言ってるんだこいつ。ウザい。キモい。」

そう思われた人もいるだろう。

 
一方、

「そうそう、まさにそれな。」

そう思われた人もいるだろう。

 
おそらく、綺麗好きな人に私の意見は受け入れてもらえない。

 
「部屋は綺麗な方が良い」が世間の常識だからだ。

 
だが、常識なんてものは賛同者が多いか少ないか、ただそれだけで決まっているだけだ。

つまり、「部屋は綺麗な方が良い」と思っている人、もしくは、そのように洗脳されている人が多いだけの話だ。

 
にもかかわらず、私のような「別に部屋なんて綺麗じゃなくてもいいじゃない」、そう考える少数派の人達は、世間から蔑まれてしまう。

 
差別。いじめ。それらと変わらない。

だが、綺麗好きな人達はそのことに気付いてくれない。

 
こんなのは人の好みの問題なので、他人がとやかく口をはさむ問題ではないはずだ。

だが、綺麗好きな人達は、「自分が正しい。自分のようにしろ。」と洗脳してくる。従わなければ敵とみなされ、どんどん心の中に攻め込んでくる。もしくは、無視されてしまう。

部屋を綺麗にするのと引き換えに、心を汚してしまったのだろうか。(そう思う時点で、私の心はすでに汚れているが・・・。)

 
 
つい溜まっていた鬱憤(うっぷん)をここで晴らしてしまった。

だが、不平不満を言うだけでは何も始まらない。今まで通り蔑まれるだけだ。

 
こんな思想を持っている私が、どうすれば部屋を綺麗にできるだろうか。

もう一歩踏み込んで考えてみた。

「部屋に対する要望が少ないこと」に気付く

あれこれと悩んでいるうちに、私は「部屋に対する要望が少ないこと」に気付いた。

 
私が部屋に求めていることは、たった3つしかなかった。

 

  1. 不衛生でないこと
  2. 寝るスペースがあること
  3. 仕事や勉強ができる机があること

 
部屋に対する要望はたったこれだけだ。

 
これ以外はどうでもいいのだ。

床に物が散乱してようが、机の上に物が散乱してようが構わない。

 
床は寝るスペースがあればいい。

机はパソコンが1台置けるスペースがあればいい。

 
 
私が寮生活をしていたことも影響しているのかもしれない。学生1年間、社会人4年間の計5年間の寮経験がある。

 
寮なんて、基本的にベッドと机くらいしかない。あと、わずかな収納スペース。

 
だが、「住めば都」とはよくいったもので、住み始めたら何も不便を感じなかった。むしろ、快適ですらあった。

 
こんな経験があるからか、私が部屋に求めることはほとんどない。先ほどの3つだけだ。

 
 
部屋が汚い人も、同じではないだろうか。

おそらく、部屋に必要最低限のことしか求めていないのだ。

 
「まあ、住めりゃそれでいいんでない?」

そんな感じではないだろうか。

 
 
部屋に必要最低限のことしか求めていない。そのように考えると、

「部屋がぐちゃぐちゃの人」
「部屋に何も置かない人(断捨離する人)」

この両者は、実は似ているのではないかと思ってしまう。

 
その結果、一方は部屋がぐちゃぐちゃに、もう一方はきれいさっぱりに。

見た目は真逆なのだが、根底の考え方は同じだと考えるとなんだか面白い。(断捨離派の人達から反論がきそうだが・・・。)

 
天才とバカは紙一重。そんなフレーズも頭に浮かんだ。

選択肢は2つ

部屋を片付けられない人が、「自主的に」、部屋を片付けられるようになるには、次の2つしかないように思う。

 
「とにかく捨てる(断捨離)」、もしくは、「部屋に対する要望を増やす」。

 
 
だが、おろらく前者はムリだろう。

部屋がぐちゃぐちゃの人は、物を捨てられない人が多い。

良く言えば物を大切にする。悪く言えば貧乏性。

 
当然、私も物をなかなか捨てられない。

 
日が経つにつれてどんどん物が増えていく。

それなのに、「部屋をこうしたい!」という欲もない。

ゴミ屋敷になるのは自然な流れなのだ。

 
 
おススメなのは、後者の「部屋に対する要望を増やすこと」だ。

私はこのことを意識するようになってから、部屋を綺麗にできるようになった。

部屋に対する要望を増やすとは?

「部屋に対する要望を増やす」とは、一体どういうことか。

私の例をいくつか挙げてみる。

 
例えば、私は「部屋の風通しを良くしたい」と考えた。

部屋の中を新鮮な風が流れると気持ちが良い。

 
風の流れを良くするためには、「自分の部屋の窓」と「隣の部屋の窓」に風の動線を作った方がいい。

風の動線上には、ゴチャゴチャと物を置かない方がいい。(たぶん)

つまり、綺麗にした方がいい。

 
「部屋の風通しを良くしたい」から「部屋を綺麗にする」。

このように考えれば、私は「部屋を綺麗にしよう」と思える。

そして、実際に綺麗にできるようになった。

 
 
「だったら、初めから『部屋を綺麗にしよう』、そう考えればいいじゃないか。」

そう思われる方もいるかもしれない。

 
だが、違うのだ。

 
私は、先述のように「部屋を綺麗にしたい」とは全く思わないのだ。

目的達成のために「部屋を綺麗にしよう」とは思っても、「部屋を綺麗にしたい」とは思わないのだ。

英語でいえば「want to」の気持ちが湧かないのだ。

それは、部屋が綺麗になった今でも変わらない。

 
自分が本心から望んでいないことに対しては、体が動かないのだ。

 
もちろん、頑張れば動くのだが、頑張れば疲れてしまう。

いつかは動けない日がやってくる。

結局は、元に戻ってしまう。最悪の場合、元よりも酷いことになる。

三日坊主やリバウンドにつながってしまう。

 
体を動かしたければ、心の底からそう思えないとダメなのだ。

 
私は、「部屋を綺麗にしたい」とは思わないが、「部屋の風通しを良くしたい」とは思う。

だから、部屋を綺麗にできるようになるのだ。

 
 
他にも例えば、「部屋の中に歩くスペースが欲しい」とも考えた。

なぜかというと、考え事をするときには椅子に座ってじっとしているより、歩きながらの方が良い案を思いつきやすいからだ。(これはぜひ試してみて欲しい。)

 
そのためには、床に何も置かない方が良い。

だから、私は、床の上を綺麗にできるようになった。

 
 
あとは、「部屋を書店のようにしたい」とも思った。書店が好きだからだ。

それほど本を所有しているわけではないが、今は本棚に本が綺麗に並べられている。

もし、ソファーがあれば、紅茶でも飲みながら本を読みたい。そんな気分になる部屋へと変わった。

 
だが、実際は、ソファーどころか椅子さえない。

もともと部屋にあった椅子はとっぱらってしまった。

立ちながらの方が仕事がはかどるからだ。この記事もまさに立ちながら書いている。

椅子をなくすメリットは他にもあるのだが、別の記事で紹介しているので、今回は省略させて頂く。(この記事の最後に、その記事を紹介させて頂く。)

 
ちなみに、この椅子をなくすアイデアも「部屋をこうしたい!」と考えていく中で生まれたものだ。

 
 
このように、「部屋に対する要望」を増やしていくことで、部屋がどんどん綺麗になっていく。

 
部屋が汚い人は、部屋全体を使っているつもりかもしれないが、実は、一部分しか使っていないのだ。

おそらくだが、「よく使うスペース」はそこそこ綺麗で、「それ以外のスペース」はぐちゃぐちゃ。そんなことになっているのではないだろうか。

必要最低限のスペース以外は、どうでもいいと考えているのだ。

だから、部屋がどんどん汚れていく。

 
ならば、部屋全体を使えばいい。部屋の隅々まで自分好みにカスタマイズすればいい。

そうすれば「汚いスペース」は存在できなくなる。

 
つまり、部屋が片付けられない人がやるべきことは、部屋の隅々まで「自分は部屋をこうしたいんだ!」と決めることだ。

 
 
よくよく考えると、「部屋に対する要望がない」ということは、「部屋に何も期待していない」ということだ。

それはある意味、無視しているのと同じだ。

毎日お世話になっている部屋に対して、とても失礼な気がする。

 
世の中には「部屋」どころか「家」すらない人達がいる。例えば、震災で被害に遭われた人達だ。

部屋があることは当たり前ではないのだ。

 
「部屋に感謝する」
「部屋を大切にする」

その気持ちが一番大切なようにも思う。

片付ける技術が足りない

だが、ここで問題が発生する。

 
部屋の隅々まで「こうしたいんだ!」と決めようとしても、なかなか決められないのだ。

 
仮に決めることができたとしても、それを実現する方法がわからないのだ。

 
なぜかといえば、私の「片付ける技術」が全く足りないからだ。

 
片付けから逃げ回ってきたツケが、今になってやってきた。

私の片付ける技術は、おそらく、小学生低学年レベルだ。

 
 
「片付け」と「学校のテスト」は似てるような気がする。

「学校のテスト」は公式や解き方を覚えることで、問題を解けるようになる。

「片付け」にも公式のようなもの(例えば、効率の良い収納方法など)が存在する。

部屋を片付けらない人、少なくとも私は、これらを全く知らないのだ。片付けられるはずがない。

 
だが、幸いなことに、現代は本やネットでそれらを簡単に調べることができる。

また、ホームセンターや100均に行くと、「へ~、こんなものもあるんだ。メチャメチャ便利じゃん!」、そんな商品を見つけることができる。理想の部屋のイメージが湧いてくる。

 
 
実際に本を読んだり、物を見たりしているうちに色んなことがわかってきた。

 
例えば、「高さ」を上手く使った方が良いということだ。

物を置くと、その上は「デッドスペース」になってしまう。

部屋のスペースは限られているのに、これではもったいない。

 
だが、5段ラックなどを使えば、床から天井近くまでスペースを有効活用できる。

 
こんなことは当たり前のことかもしれない。

だが、こんな当たり前のことすら、私は知らなかったのだ。

 
 
一方で、片付けの技術を身につけることは、それほど難しくないことにも気付いた。

知っているか知らないか。ただそれだけのことだ。

本やネットを調べたり、ホームセンターや100均に足を運んだりすればいいだけだ。

学校のテストで高得点を取るよりは、はるかに簡単だ。

 
現在の私の片付ける技術は、おそらく、小学生高学年以上まではレベルアップした。(と思っている。)

そのおかげで、ほぼ理想の部屋を創り上げることができた。

一番重要なのは「部屋をこうしたい!」という気持ち

だが、一番重要なのは「部屋をこうしたい!」という気持ちだ。

もちろん、片付ける技術も重要だが、それは二の次だ。

 
気持ちがなければ、技術があっても全く意味がない。

そもそも、技術が身につかない。

 
 
私はこれまでに「片付け」に関する本を何冊か購入し、読んだことがある。

だが、私の心には全く響かなかったし、私の部屋も全く変わらなかった。

 
なぜかといえば、私が心の底から「部屋を片付けたい」とは思っていなかったからだ。

 
一方、「片付け」に関する本は、

「(あなたは部屋を片付けたいんでしょ?)だったら、こうしたらいいよ」

そんなアドバイスから始まる。つまり、片付けの技術から始まる。

 
あるいは、

「片付けると、こんなにいっぱいメリットがあるよ!」

そんなことを紹介してくれる本もあるのだが、多少メリットを提示されたくらいでは、この重い体は動かないのだ。メリットとは思えないのだ。

豚に真珠というやつだろうか。

 
もちろん、本が悪いのではない。

私の意識が低すぎるのだ。

 
ちなみに、私が本を手に取った理由は、小言にうんざりしていたからだ。部屋が汚いと色んな人が色んなことを言ってくる。

「本を読めば何かが変わるのではないか?」そんな浅はかな期待があった。

だが、門前払いされてしまった。

やる気のない人を救うほど、本の著者はヒマではない。きっとそういうことなのだろう。

 
 
部屋を片付けられない人は、私と似ているのではないかと推察される。

であれば、まずやるべきことは、部屋の隅々まで「自分はこうしたいんだ!」と決めることだ。部屋全体を自分好みにカスタマイズすることだ。

 
体は自然と動くようになる。部屋はおのずと綺麗になっていく。

 
「誰かに怒られるのが嫌だから」、ではダメなのだ。

 
 
まれにだが、部屋が綺麗な人の中にも、イヤイヤ片付けている人がいる気がする。

「部屋は綺麗でないといけない」、そのように洗脳されているのではないかと思ってしまう。

 
「片付けたくない」と思いながら、部屋を片付ける。

明らかに矛盾している。こんなことをしていたら、ストレスが溜まるだけだ。

 
見方を変えれば、ストレスを溜めるために部屋を片付けているともいえる。全くもってバカげている。

それだったら、昔の私のように部屋を片付けない方がマシにも思える。

 
どうせ片付けるのであれば、前向きな気持ちで片付けた方が絶対にいい。今ならそう思える。

片付けに限った話ではない

これらは片付けに限った話ではない。

おそらく、他のすべてのことに共通するように思う。

 
例えば、勉強。

「勉強をやりたいと思わない」のに、勉強しようとする。

「部屋を片付けたいと思わない」のに、片付けようとする。

 
まさに、同じ構図だ。

これでは勉強できるはずがない。

 
勉強でも、「自分はこうしたいんだ!」、そんな強い気持ちを持つことが重要だ。

 
 
例えば、コロナウィルスの件で、政府の対応に不信感を持った人もいるかもしれない。

「将来、国のトップに立って国を変えてやる!だから、今、勉強するんだ!」

そんな気持ちを持った人もいるかもしれない。

このような人は、おのずと勉強できるようになる。

 
これは少し高尚な例だったかもしれない。

では、「将来、お金持ちになって遊びまくってやる!異性と遊びまくってやる!だから、今、勉強するんだ!」

これはどうだろうか?

 
世間一般的には最低で不純な動機だが、これで勉強できるようになるのであれば、それはそれで私は良いと思う。

 
自分の体を動かしたければ、本心からそう思えるものでなくてはならない。嘘偽り、偽善ではダメなのだ。

 
 
例に挙げておいてなんだが、少なくとも私は「国の~」では、全く勉強する気にはならない。

私の名誉のために付け加えておくと、「お金持ちに~」でも、勉強する気にはならない。(多少はなるかもしれない。)

 
そもそも、私は勉強が好きなのだ。理由は、勉強が楽しいからだ。

数学の問題を解いているときは、ゲームをやっているときと同じくらい楽しい。

何時間勉強しても全く苦にならない。(英語を読んでいると眠くなってしまうが、苦痛ではない。)

 
本心から「勉強が面白い」と感じれば、自然と勉強できるようになる。

「勉強したい!」と思えるようになる。

そう考えると、一番のおススメは「勉強の面白さに気付くこと」かもしれない。

 
 
勉強に限らず、仕事・家事・育児・ダイエットなどでも同じだ。

自分が本心から「こうしたいんだ!」、そう思えるものを見つければ、体は自然と動くようになる。

 
 
「やりたくないけどやる」
「それが常識だからやる」
「誰かに言われたからやる」
「誰かに怒られるからやる」
「周りの視線が気になるからやる」

 
それではダメなのだ。

それでは体を動かすことはできない。

そんな状態でムリに体を動かせば疲弊するだけだ。いつかは足が止まってしまう。体を壊してしまう。

 
心の底から「こうしたい!」、そう思わないと体は前に進んでくれないのだ。

 
何事も視点を変えて考えれば、「こうしたい!」と思えるはずだ。

ゴミ屋敷に住んでいた私が部屋を綺麗にできたように。(例えば、「部屋を綺麗にしたい」と考えるのではなく、「部屋の風通しを良くしたい」と考えるなど。)

まとめ

さて、長文になってしまったが、ここでまとめたいと思う。

 
部屋が片付けられなくて困っているのであれば、部屋の隅々まで「自分はこうしたいんだ!」と決めることをおススメする。

片付けの技術も必要だが、それは二の次だ。気持ちがあれば、技術は自然と身についてくる。

技術を身につける際には、本やネットで調べる、もしくは、ホームセンターや100均で実物を見る、などがおススメだ。

 
あと、「部屋を大切に想うこと」も片付ける意欲を促進してくれるはずだ。

 
私はこれらを意識することで、部屋を片付けられるようになった。ここに辿りつくまでに36年もかかってしまった。

 
ちなみに、部屋は綺麗になっただけで、オシャレになったわけではない。

別に「オシャレな部屋にしたい」とは思っていないからだ。私は、オシャレには興味ないのだ。

だが、仕事用の靴だけはオシャレに気を遣っている。その理由については下の関連記事の中で紹介させて頂く。

 
片付けに限らず、勉強・仕事・家事・育児・ダイエットなどで、体が動かないときは「自分はこうしたいんだ!」、そう思えるものを見つけることをおススメする。

自分の心の中に、それは必ずあるはずだ。

 


<関連記事1>
立つ時間を増やして自由な時間を増やそう!


<関連記事2>
「靴」ってホント大事。女性はよく見てる。オシャレは足元から