運営者プロフィール

林 英嗣

Gaku eichi代表の林 英嗣です。教育コンサルタント(学習アドバイザー)として活動しています。

10代・20代の若い人達の苦手克服サポートや学習アドバイスなどをしています。

略歴

長野県諏訪清陵高校
校歌が18番まである学校。日本で一番長い。野球部に入部。強制的に校歌を覚えさせられる。ポジションはショート。

京都大学
工学部 物理工学科。河合塾で1年間浪人。E判定からA判定に。ゴルフ部に入部。ベストスコア72。大学院には進学せずに就職。

トヨタ自動車(株)
水素で走る車の開発。世界初の開発に貢献。約8年間。

(株)京進
高校生対象の数学の塾講師。受講生徒の98.8%から高評価を得る(授業アンケートより)。約3年間。

Gaku eichi
独立して教育コンサルタントに。(←現在)

教育コンサルタント(学習アドバイザー)になった理由

子供の頃から「読む・書く・聞く・話す」が物凄く苦手。高校生になっても童話ですら読めませんでした。そのせいで、つらい思いをしたことが何度もあります。でも、そのおかげで心が強くなりました。

時間をかけて「苦手」を克服(正確には今も克服中)。今までに学んだことは、「同じように苦手で悩んでいる人」や「夢や目標に向かって突き進んでいる人」の役に立つのではないかと思い、教育コンサルタントとして独立しました。

ブログをやってます!

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  • 人材育成
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などに役立つ記事を紹介しています。たまに全然関係ないこと(ふと思ったことなど)も書いてます。お役に立てれば幸いです。
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出身地など

長野県 岡谷市 出身
愛知県 春日井市 在住
1983年生まれ。ふたご座。O型。
既婚 子供1人(7才男の子)

趣味1:体を動かすのが大好きです

体を動かすのが大好きです。

ウォーキング・ジョギング・筋トレ・ストレッチなどを2日に1回はやるようにしています。

が、全く痩せないんですよね・・・。

食事制限も加えることで、ようやく痩せてきました。

ダイエット記事も書いています。

定期的に記事を書けば、自分自身も心がくじけないだろうという下心です。

もし、ダイエットをしているのであれば、いっしょに頑張りましょう!


<関連記事>
2ヶ月でマイナス3キロ。36歳からのダイエット ※ ちなみに現在は39歳です。


趣味2:ゲームが大好きです

ゲームが大好きです。

でも、子供が生まれてからゲームをやる時間がないんですよね・・・。

幸いにも子供がゲーム好きなので、時間があるときは子供といっしょにゲームをやっています。(1日30分くらい)

スーパーマリオ、星のカービィなど。

最近は、スマブラをやっているのですが、子供(7才)の腕が上がってきて、負けてしまうときがあります。

子供の成長速度は速いですね・・・。

最近はまっているもの

最近というか、ここ半年くらい「寿がきやの台湾ラーメン」にハマっています。

ピリ辛で何回食べても飽きません。ちょい辛好きの方におススメです。


<関連記事>
寿がきやの台湾ラーメンに卵を入れたら美味しくなった件


子供の頃は・・・

子供の頃はというと・・・

実は、あまり覚えてません。幼稚園から小学生くらいまで。

断片的には残っているんですが・・・。

体を動かすこと」と「ゲーム」が好きだったことは覚えています。そう考えると、今も昔もそれほど変わっていません。

あと、「公文式」をやっていました。算数と国語。

子供の頃は、公文が嫌いでした。遊ぶ時間が減ってしまうので・・・。

実際、小学生高学年くらいからサボり始めて、そのまま辞めてしまいました。

でも、公文のおかげで、計算が物凄く速くなりました。

数学が得意に。

塾講師時代にも、計算の速い生徒がいたので「もしかして公文やってた?」と聞いたら、案の定やっていました。

公文式ってすごいですね。

昔は嫌いだったのですが、今となれば「公文」と「公文を習わせてくれた親」に感謝の思いしかありません。

この経験から

本当に将来必要なことであれば、多少子供が嫌がってもやらせてあげた方がいい

ことを学びました。

ただ、本当に苦手だったり、嫌がったりするようであれば、強制するのはおススメしませんが・・・。

ちなみに、子供にも公文を習わせています。最初は少し嫌がっていたのですが、今は自分から進んで公文の宿題をやるようになりました。どうやら楽しいようです。

最初は嫌がっても、実際にやらしてみると楽しんでくれることもあるので、子供にはとりあえず色んなことを体験させることをおススメします。

中学校の頃は・・・

中学校くらいからの記憶はそこそこ残っています。

これまでの人生の中で一番つらかったのは中学時代です。

不登校まではならなかったのですが、学校を休みがちになってしまいました。

部活がつらかった

一番つらかったのが「部活」です。野球部でした。

  • とりあえず走らされる
  • 練習時間が長い
  • 大きな声を出さなくてはいけない
  • 練習中に水を飲んではいけない
  • とにかく怒られる

など、かなりハードでした。ここでは書けないこともしばしば。

朝練はほぼ毎日、土日は休みなし。年間で休みは数日くらいしかなかったように思います。

でも、昔の部活はこんな感じですよね。今だったら問題になることばかり。

野球は大好きなんですが、部活は大嫌いでした。

じゃあ、辞めればいいじゃん」って、今なら思えるんですが、当時はなぜか辞めたいとは思わなかったんですよね・・・。

それが常識というか、当たり前というか。変な固定概念に縛られていました。

打撃練習や守備練習はなんだかんだいって面白いですからね。そのおかげかもしれません。

ただ、試合は嫌いでした。ミスしたらメチャメチャ怒られるので。

試合は「楽しい」よりも「恐怖」の方が強かったです。

あとぶっちゃけヒマなんですよね・・・。

守っていても自分のところになかなかボールが飛んでこないし、打順もなかなか回ってきません。

そして、そのわずかな時間で失敗しようものなら怒られる。

そんなこともあり、部活が嫌いでした。

生徒会がつらかった

こんな状況なのに、何を血迷ったか「生徒会長」になってしまいました。しかも、立候補で。

私の代は、生徒会長を誰もやりたがらないという事態が発生してしまいました。立候補者0人。先生もブチ切れる始末。

当時は「クソ真面目」だったので「自分がやらねば」と思い込み、立候補してしまいました。

でも、これが地獄の始まりでした。

生徒会長といっても、しょせん1人の生徒に過ぎません。上には、先生という権力が待ち構えています。

一方、他の生徒会役員や生徒達の思いを汲まなくてはいけません。

まさに「中間管理職」の状態です。

生徒会長として先生に怒られることもしばしば。

生徒会がつらい。部活がつらい。

どんどん心がつらくなっていきました。

しかも、毎日のスケジュールがハードでした。

朝の7時から朝練、昼は生徒会、放課後は生徒会、その後遅れて部活に参加、家に帰った後は生徒会や勉強など。

思春期だったこともあり、家族ともなんとなくギクシャクしていました。

成績が落ちる

こんな生活をしていたので成績もガクッと落ちてしまいました。

普段であれば成績が落ちてもなんとも思わないし、むしろ、「次は頑張ってやる!」と思えるのですが、このときばかりはさすがに心が折れてしまいました。

何をやっても全く面白くない。

毎日がつらい。

学校に行きたくない。

そして、実際に学校をちょくちょく休むようになりました。

友達に救われる

でも、不登校にはなりませんでした。

幸いにも友達が多かったからです。

部活にいけば部活の友達がいるし、生徒会にいけば生徒会の友達がいます。教室にいけばクラスの友達がいます。

友達と話しているときは、つらいことを忘れることができました。

友達ってやっぱ大切ですね。

一番心の支えになったのは、ある友人です。

その人は、生徒会副会長、野球部副キャプテン(生徒会をやっていなければ、おそらくキャプテン)にもかかわらず、成績上位をずっとキープしていました。

私とほとんど同じ状況にもかかわらず。しかも、通っている塾もいっしょ。

その友人を間近で見ていたので「自分も頑張らねば!」と思えるようになりました。成績も以前と同じくらいまでは戻すことができました。

自ら命を絶ってしまう人」が世の中には少なからずいるのですが、今振り返ると、当時の私はかなり危険な状態にいたように思います。

きっとそういうことは誰にでもあり得るのだと思います。

そんなときに救ってくれるのは、周りの人達。

少なくとも私の場合は、その友人や他の友達のおかげでそうはなりませんでした。

人とのつながりは大切ですね。

この頃から、「人との出逢い」を大切にするようになりました。

心身がかなり鍛えられた

部活・生徒会が終わってから、性格がかなり変わりました。

物凄く明るくなりました。それまでは暗い顔だったと思います。

あと、多少つらいことがあっても、なんとも思わなくなりました。

当時は本当に辛かったのですが、今となればその経験のおかげで強くなれた気がします。

つらいことがあっても、そこを乗り越えれば明るい未来が待っている

そう思えるようになりました。

心身を鍛えるうえで「つらい経験」は実は物凄く大切なのかもしれません。

高校の頃は・・・

無事に第一志望の高校(長野県諏訪清陵高校)に合格することができました。校歌が18番まである変わった学校です。在学中にテレビ取材がきた記憶があります。

そして、野球部に入部。なんだかんだでやはり野球が好きだったようです。

高校の部活はメチャクチャ面白かったです。

自主性を重んじる高校だったので、「監督ではなく自分達で練習メニューなどを考える」、そんな部活でした。

朝練はありませんでしたが、日が暮れるまでみんな自主的に練習していました。

膝の靭帯が切れる

高校2年の頃、練習中に膝の前十字靭帯が切れてしまいました。

ゴキッ」という今まで聞いたことがない音とともに・・・。

膝周りがパンパンに腫れていたのですが、そこまで痛みがなかったので、その日は普通に自転車で帰宅しました。

でも、病院で告げられたのは「全治1年(要手術)」。

普通に歩けていたので、頭が混乱してしまいました。

まさかそんな大けがとは夢にも思いませんでした。まあ、たしかに足の腫れ方は半端ありませんでしたが・・・。

手術後に復帰しても、高校3年生の夏の大会には間に合いません。

部活を辞めることに。

このときは涙が止まりませんでした・・・。

気持ちを勉強に切り替える

膝を怪我すると、行動がかなり制限されてしまいます。

手術後は足を床につけることすらできないので、基本的には1日中ベッドの上。

体はメチャクチャ元気なのに・・・。ある意味、拷問ですね。

病院に1ヶ月間入院したのですが、やることが全くありません。

テレビはあったんですが、なぜか昔からテレビをあまり見ないんですよね。

スマホがあればゲームなどができたんですが、当時はスマホなどありません。

入院中はとりあえず勉強することにしました。

朝から消灯の時間までずっと。

その甲斐あって、退院後の定期テストでは学年1位になりました。(これが最初で最後の1位でしたが・・・)

このときから、気持ちが「部活」から「勉強」へと切り替わりました。

現役では合格できず、浪人生活へ

ただ、受験はそれほど甘くありませんでした。

現役では合格できず、浪人することに。

京都大学にチャレンジしたのですが、手も足も出ませんでした。

そもそも、模試の判定も最低ランクのE判定でした。

来年は絶対に合格してやる!

と心に誓い、1年間ひたすら勉強しました。

寝る、ご飯、お風呂、トイレ以外の時間はほとんど勉強に費やしました。毎日10時間以上は勉強したと思います。

その結果、京大実践模試では「A判定」に。しかも、成績優秀者に名前が載るくらいまで成績を伸ばすことができました。

そのまま無事に合格できました。慶應大学、同志社大学にも合格できました。

このときわかったことは2つです。

1つ目は「勉強はやればやるほど成績が伸びる

2つ目は「学力を高くすると、将来の選択肢が増える

学力を高くすると、将来の選択肢が増える

2つ目の「学力を高くすると、将来の選択肢が増える」。このことはかなり重要なのではないかと思います。

例えば、私の場合、京大医学部は「C判定」でしたが、その他の理系学部はすべて「A判定」になりました。

つまり、学部を選べるようになりました。理系の場合、文転もそれほど難しいことではありません。

また、東大を除けば、ほとんどの大学に進学することができます。

医学部でも、もう少し難易度の低いに大学にすれば十分狙うことができます。

実際、学部を決める際は迷いました。

数学や宇宙関係が好きだったので「理学部」もいいなと思いました。

膝の手術をしてもらったこともあり、スポーツ選手をサポートするようなお医者さんになりたい気持ちもあったので「医学部」もいいなと思いました。

飛行機やロケット、車など、最先端の乗り物を造る「工学部」もいいなと思いました。

最終的には「工学部」の「物理工学科」を選びました。「理学部」と「工学部」の中間をとった感じです。

このように、学力を高めておくと自分の将来を選べるようになります。

もちろん、プロ野球選手や芸術家などの特殊な職業に就くためには、学力だけではダメですが、それ以外の一般的な職業であれば、学力を高めるだけで就くことができます。

そう考えると、今の日本においては、学生のうちはとにかく勉強した方がお得ということです。(実際は、社会人になってからも勉強した方がお得。)

勉強ばっかりの学校生活なんて・・・

という意見もあるかもしれません。

しかし、学生のうちにやりたいことをやって、社会人でやりたいことができない方が、長い人生で考えると明らかに損をします。

そもそも、勉強はとても面白いものです。遊びとそれほど変わりません。

「勉強なんてつまらない・・・」

そんな場合は、次の記事を参考にして頂ければ幸いです。


<関連記事>
勉強はメチャメチャ面白い!「つまらない」なんて言わないで


大学時代は・・・

大学はゴルフ部に入りました。

膝は既に完治していたのですが、激しいスポーツはちょっと怖かったので、そこそこ運動ができる部活にしました。

とはいうものの、実際はかなりハードでした。

ゴルフバックを背負って、山道を走らなくてはいけないので。

ゴルフ部に入部して割と早くに70台を出せるようになりました。ベストスコアは72です。

ドライバーは300ヤード前後飛んだのですが、その代わりよく曲がりました。

野球経験者あるあるです。

なかなかスコアは安定しませんでした。

余談ですが、体格は良い方だったので、アメフト部からメチャメチャ勧誘されました。

高1の時点で、ベンチプレス100キロ、握力70キロでした。

膝の怪我をしてなければアメフト部に入っていたかもしれません。

主将に任命される

そこそこのスコアが出せていたので、大学3年生(3回生)の頃には、ゴルフ部の主将に任命されました。

でも、生徒会長のトラウマがあったので、一旦お断りしました。ただ、尊敬する先輩からの任命だったので、最終的には受けることに。

主将だからといって、私が一番上手かったわけではありません。

部内では5、6番手くらいです。ベストスコア60台の人や、安定して70台で回ってくる人が他にもいました。

そのため、私の主将時代の京大ゴルフ部は結構強かったです。

関西の大学リーグ戦で、今までは2~3部当たりをウロウロしている部だったのですが、私の代では1部を狙えるようになりました。

最終的には、2部準優勝で終わってしまったものの、2部優勝チームの出場選手のほとんどが「ゴルフ推薦で入学した人達」だったので、そこそこ健闘できたのではないかと思います。

私が主将になった当初は「1部リーグはムリだろ・・・」という雰囲気があったのですが「1部リーグを目指そう!」とチーム内で決めてから、チームもそのように変わっていきました。

目標を立てるのって重要ですね。

将来の進路を決めるときがやってくる

大学4年生(4回生)になり、将来の進路を決めるときがやってきました。

理系の場合、多くの人が大学院へと進むのですが、私は進みませんでした。

「さっさと社会に出て働きたい」という気持ちがありましたし、大学院で2年間学ぶよりも現場に出て学んだ方が学びが多いような気がしたからです。

ただ、進路はメチャメチャ悩みました。

やりたいことがたくさんあったからです。

正直なところ、一番行きたかったのは、「任天堂」「SONY」「スクエアエニックス」などのゲーム会社でした。

でも、私の専攻は「機械系」です。就職が厳しいことを悟りました。

これに関してはちょっと後悔しています。将来的に、これらの会社に携われるようになりたいなと今でも考えています。

最終的に選んだのは、「トヨタ自動車」でした。

水素で走る車「燃料電池自動車」に魅力を感じたからです。

「環境問題に貢献したい」
「新しい技術に挑戦したい」

そんな思いもありました。

いざ面接へ。

やっぱり「大学院卒」の人が多い。「学部卒」の人はほとんどいませんでした。(理系職の場合)

不安だったのですが、なんとか採用してもらえました。

面接の際は、部活の話がメインでした。

部活は真剣に打ち込んできたので、嘘偽りなくスムーズに話すことができました。

真剣に打ち込むことって重要ですね。

自動車会社に勤めていた頃は・・・

そんなわけで、トヨタ自動車に採用して頂けたのですが、試練はまだここからでした。

私の年の新入社員は約1,000名。

それに対して、「燃料電池車」の開発部署に配属されるのは、わずか数名。

配属されるのは半年後でした。

おそらく、その期間中に適性などを調べられたのではないかと思います。

ただ、私は「燃料電池車の開発」に魅力を感じたのであって、「トヨタ自動車」に魅力を感じていたわけではありません。(トヨタ車は大好きです。)

そのため

希望部署以外に配属されたら速攻で退職してやる!

そのくらいの心意気で配属までの期間を頑張りました。

その意気込みを買われたのか、なんとか希望通りに配属してもらえました。

ただ、実際はそれだけではなかったようです。配属担当の方と話す機会があったのですが、希望通りの配属にした決め手は「京大」だったそうです。

やはり、世の中は学歴が重要なんですね。

ちょっとショックだったのが・・・

希望通りの部署に配属されて

よし!やるぞ!

と意気込んでいたのですが、ちょっとショックなことが・・・。

土日休みで、残業に制限があったからです。

今思い返せば素晴らしい制度なんですが、当時は「もっとバリバリ働きたい!」という気持ちがありました。

今までの人生で土日が休みという経験があまりなかったので、最初のうちはなんだか落ち着きませんでした。

職場はいつもピリピリしている

でも、逆に言えば短い時間でアウトプットを出さなければいけないということ。

職場はいつもピリピリしていました。

私は、要領が良い方ではなく、量でこなすタイプだったので、この環境に慣れるのには結構時間がかかりました。

というより、正直なところ最後まで慣れなかったような気もします。

でも、この環境で働き続けたおかげで、少しずつ要領がよくなっていきました。

上司や先輩は怖い。けど優しい

上司や先輩はメチャメチャ怖かったです。でも、一方でメチャメチャ優しいんですよね。

ミスすれば怒られるのは当たり前なんですが、外部から責められたときには必ず守ってくれます。

それに、就業時間外は、面白い方達ばかりでした。

色んなことを学ばせて頂き、心の底から感謝しています。

トヨタ車はやっぱすごい

トヨタ自動車で働いてみてわかったことは、「トヨタ車はやっぱすごい」ということです。

とにかく品質管理が徹底しています。

開発者側としては、とことん品質を追い求められるのはなかなかつらいのですが、そんなことはお構いなしに徹底的に品質を求められます。

でも、利用者としてはこれほど安心できることはありません。

今もトヨタ車を愛用していますが、これからもトヨタ車に乗り続けたいと思います。

転職を志す

ありがたいことに、燃料電池自動車の開発に企画段階から販売段階まで携わさせて頂きました。

ただ、その達成感から他のことにもチャレンジしたいと思うように。

トヨタの「人材育成」を見て、「自分も将来こんな仕事をしたいな」と思うようになりました。

とはいっても、まだまだ未熟。修行が必要です。

自分の人生の中で、得意だったこと、好きだったことを思い返したときに浮かんできたのが「数学」でした。

そこで、数学の塾講師を目指すことにしました。

※ 余談ですが、転職する際にはTOEICの点数があった方がいいと思い、TOEICも頑張りました。


<関連記事>
TOEIC800点を突破する勉強法(410点→810点)


数学の塾講師になるために・・・

とはいっても、さすがにすぐに数学の塾講師になれるわけではありません。忘れてしまっているので。

そこで高校数学を一から全てやり直すことにしました。

具体的には、

白チャートの数ⅠA・数ⅡB・数Ⅲ
赤チャートの数ⅠA・数ⅡB・数Ⅲ
センター試験過去問25年分
東大の過去問 理系・文系 25年分
京大の過去問 理系・文系 25年分

これらのすべての問題を解き直しました。それぞれの教材が結構分厚いので、重ねると30センチ以上の厚さになります。

なかなかのボリュームだったのですが、もともと数学が好きなので全然苦ではありませんでした。

塾講師の頃に・・・

京進という学習塾に採用して頂きました。

ですが、さすがにすぐに教壇に立つわけにはいかないので、みっちり研修して頂くことに。

最初はなかなか上手くいきません。職を変えることの難しさを痛感しました。

新しいことを始めるって大変ですね。

でも、私を指導してくださった先生(複数の方)が、物凄く丁寧に教えて下さったので、割と早くに生徒からの高評価をもらえるようになりました。

授業アンケートでは、

「授業を受けてやる気が高まる」と回答した生徒が

84名中80名。(95.2%

同じく、

「この授業で実力がつく(96.4%)」

「授業がわかりやすい(98.8%)」

「この先生の授業を継続して受講したい(98.8%)」

など、生徒達から高評価を得ました。(2018年1月授業アンケート結果より)

私自身、数学が好きだし、教えるのも楽しい。

生徒達の成績も伸びていく。

「数学の塾講師は自分に向いてるな」と感じました。

父が癌の手術をしたときに・・・

あるとき、父が癌の手術をすることに。

ただ、私は滋賀県に住んでいて、父は長野県に住んでいました。

手術当日は、生徒達にとって大切なテスト前の授業がありました。

授業を空けるわけにはいかない。でも、日帰りで帰ることもできない。

かなり悩んだのですが、父の手術がそこまでの危険性がないことから、このときは授業を優先することにしました。

でも、「こういうときはやっぱり帰りたい」という思いと、「仕事でなるべく迷惑をかけないようにしたい」という思いから、愛知県への移住を決心しました。

私の親が長野県で、妻の親が滋賀県なので、その中間地点です。どちらも車で2時間程度。これならば日帰りできます。

手術の数日後に、塾長に退職の旨を申し出たのですが快諾して頂けました。

ただ、すぐに辞めると生徒達や他の先生にも迷惑がかかってしまうので、その日から約1年半後に退職することにしました。

Gaku eichi を立ち上げる

もともと独立したい気持ちがあったので、これを機に「Gaku eichi」を立ち上げることにしました。

受験生や保護者の方の相談に乗ったり、会社での新人教育のお手伝いをさせて頂く。

そんな仕事をすることにしました。

ホームページを独学で学ぶ

最初苦戦したのはホームページの立ち上げです。(このサイトのことです。)

ホームページに関しては全くの初心者だったので、一から独学で学びました。

まだまだですが、現時点ではサイト閲覧数(PV数)が10万回を突破しました。

そこそこ上手くいっているのではないかと思います。

「2070年までに30億pv」を目指しています

2070年までに30億pvを目指しています。

高い目標があった方が、モチベーションを保ちやすいからです。

記事を書くためには「気力」が結構必要なんですよね・・・。

これからもお役に立てるような記事を更新していく予定なので、「これはよかったな」と思う記事があったら、SNSなどで拡散して頂けると嬉しいです。

セミナーを開催できず・・・

もともとの予定はセミナーを開催していく予定でした。

が、コロナのせいで、ちょっと厳しいですね・・・。

コロナが収まってきたら、開催する予定なので、そのときはぜひご参加ください。

お気軽にお問い合わせください

今は、メール、電話、ZOOMなどで相談を承っています。

私にお手伝いできることがありましたら、お気軽にお問い合わせください。

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