そのつらい経験は、これからの人生で心の支えになる
そのつらい経験は、これからの人生で心の支えになる
生きているとつらいこともあります。
でも、そのつらい経験はこれからの人生で必ず心の支えになります。
私自身、とてもつらい時期があったのですが、なんとか乗り越えることができました。そして、その経験が今でも「心の支え」になっています。
「あのときのつらさに比べたら全然たいしたことない」
この一言を思い出すだけで、多少つらいときでもポジティブに取り組めるようになりました。また、そのときを境に一皮むけたような気がします。
現在つらい思いをされているのであれば
「ラッキー!成長できる!」
とポジティブに捉えることをおススメします。
つらい経験は将来必ず役に立ちます。その経験が自分を強くしてくれます。
この記事では「そのときの私の体験談」をお伝えしたいと思います。お役に立てれば幸いです。
<当時の経験から学んだこと>
- つらいことはいつまでも続かない。いつかは必ず抜け出せる。
- つらい経験を乗り越えると、心が強くなり、何事にも前向きに取り組めるようになる。
- 納得できないことは、とことん議論した方が良い。
- つらいときに助けてくれるのは友達の存在。
- どうせやるなら、ポジティブに取り組んだ方が得。
- つらいときには休息も必要。
- 本当につらいときにはやめるのもあり。
この記事の関連動画(1分くらいの短い動画です。)
毎日がつらかった中学時代
人生で一番つらかったのは中学3年生のときです。学校に行くのがイヤで、月に何回かは学校を休んでいました。
体力はある方なので、体調を崩すことはほとんどありません。
ただ、
「学校に行きたくない・・・」
その気持ちから学校を休んでいました。
きっかけは「生徒会長」になってしまったこと
きっかけは「生徒会長」になってしまったことです。
生徒会長は立候補制にもかかわらず、誰も立候補しないという事態が発生しました。
当時、私は生真面目だったので、「みんながやらないなら、自分がやらねば」というむさくるしい正義感のもと、立候補してしまいました。
ただ、みんなが立候補しなかったのには理由があります。
この年は少し変わっていて、コンセプトが「一から創り直す」でした。今までの委員会を全て廃止し、新しく創り直す、といった感じです。
その叩き台を生徒会長を中心に考える必要があったので、生徒会長の仕事が激務になるのは目に見えていました。そのため、期限を過ぎても誰も生徒会長に立候補しませんでした。
にもかかわらず、立候補してしまいました。「一から作り直す」というキーワードに惹かれていた部分も若干あったと思います。
それが地獄の始まり
しかし、それが地獄の始まりでした。
最初のころはやりがいを感じていたのですが、日が経つにつれて毎日がつらくなっていきました。
中学の生徒会長という役職は「中間管理職」のようなものです。自分にすべてを決める権限はありません。何かをやるときには、必ず先生の許可が必要です。
例えば、生徒会の皆と話しあって「面白そうな企画」を考えても先生が却下したら、すべて水の泡。
情けないことに、当時は先生と議論する度胸がありませんでした。先生に却下された場合は、自分が納得できなくても、その方針に従ってしまいました。
上と下に挟まれる
しかし、私が先生に従えば、生徒会の皆から不満が出ます。上と下から挟まれる状態です。
最終的には、生徒会の皆は納得してくれたのですが、私の心の中は複雑でした。
自分が納得できないのに、皆には納得してもらう。
そんなことを繰り返していくうちに、何をやっているのかよくわからなくなっていきました。
そして、日が経つごとに精神的につらくなっていきました。
恥ずかしい話なのですが、反論できない自分が情けなさすぎて、先生の前で泣いてしまったこともあります。そのときも、気にかけてくれた先生に対して「なんでもありません」と反論せずに終わらせてしまいました。
野球部だったことが、つらさを後押しする
「野球部」だったことが、つらさを後押ししました。
そこそこ強いチームだったこともあり、基本的に休みはありませんでした。朝錬、夕錬はほぼ毎日。土日も朝から夕方まで練習や試合。しかも、現在では許されないようなスパルタ指導。(今となっては感謝してますが・・・)
それに加えて昼と放課後は生徒会の仕事。
放課後までに終わらないときは、家でも生徒会の仕事をしました。
成績が落ちる
こんな状態だったので、生徒会長になってから初めて受けたテストでは、成績がガクっと落ちてしまいました。
当時はまだ手を抜くことを知らなかったので、「なんとかして前の成績に戻さないと・・・」と思い込み、勉強にも手を出してしまいました。
生徒会・部活・勉強の3つをこなす毎日
朝は「部活」、
昼は「生徒会」、
放課後は「生徒会」と「部活」、
家に帰ってからは「生徒会」と「勉強」。
毎日これを続けていくうちに心も体も疲れていきました。
毎日がつらい。全然面白くない
そんな生活が続き、毎日がつらくなっていきました。何をやっても全然面白くありませんでした。
生徒会も面白くない。
部活も面白くない。
もちろん、授業も面白くない。
学校に行く意味がわからない。
そして、学校に行くのがイヤになり、学校を休みがちになりました。
友達に救われた
ですが、休みがちになっただけで、不登校にはなりませんでした。
学校に行けば友達がいたからです。
学校に行けば、生徒会の友達、部活の友達、クラスの友達がいました。
友達と話しているときは、つらい気持ちを忘れることができました。
また、生徒会のメンバーの中には、部活も勉強も頑張っている人がいたので、その姿を見て「自分も頑張ろう!」と思えるようになりました。
その頃から、学校を休む回数が減りました。生徒会、部活、勉強に前向きに取り組めるようになりました。
成績も次第に回復していきました
生徒会が終わった途端、目の前が急に明るくなる
なんとか一日一日を乗り切っていくうちに、夏頃には部活が終わり、秋頃には生徒会が終わりました。
生徒会の最後の仕事、「文化祭」が終わったときには、不思議なことに「目の前が急に明るくなる」のを感じました。
視界が急に広がっていく感じです。本当に不思議な体験でした。
実際、文化祭が終わってからは、周りの人達に「顔が明るくなった」「性格が明るくなった」と言われました。
おそらく、それまでは相当暗い顔をしてたんだと思います。
そのときの経験が今でも心の支えになっている
それから20年以上経っていますが、そのときよりもつらい経験をしたことはありません。そして、そのときの経験が今でも心の支えになっています。
幸か不幸か、多少のつらいことにはなんとも思わなくなりました。
例えば、社会人になる前は「社会人になったらたいへんだぞ!」と脅されてきたのですが、今のところはそのように感じたことはありません。
つらかった当時は、基本的に休みなしで朝の7時から夜の12時までフル稼働。そのうえ、頭も体も使うし、中間管理職のようなこともしていました。
そのときの経験に比べたら、会社勤務はぬるま湯に浸かっている感じでした。
その経験以降、自分が強くなった
その経験以降、自分が強くなりました。
例えば、1浪の末、京都大学に合格できました。
浪人中というのは、孤独感、不安感から、心が折れてしまう人がいます。しかし、私は折れることがありませんでした。
つらかった当時は「生徒会・部活・勉強」をこなしていました。浪人中は「勉強」するだけ。
「勉強だけなんだから楽勝だ!」
そう自分に言い聞かせて成績を伸ばすことができました。
つらい経験は将来必ず役に立つ
つらい経験は将来必ず役に立ちます。自分を成長させてくれます。
今つらい思いをされているのであれば、
「ラッキー!成長できる!」
とポジティブに捉えることをおススメします。
つらい時期はいつまでも続きません。必ず出口がやってきます。つまり、今さえ乗り越えれば、明るい未来が待っているということです。
当時の経験から学んだこと
「当時の経験から学んだこと」をまとめました。もし、今つらい思いをされているのであれば、参考にして頂ければ幸いです。
<当時の経験から学んだこと>
- つらいことはいつまでも続かない。いつかは必ず抜け出せる。
- つらい経験を乗り越えると、心が強くなり、何事にも前向きに取り組めるようになる。
- 納得できないことは、とことん議論した方が良い。
- つらいときに助けてくれるのは友達の存在。
- どうせやるなら、ポジティブに取り組んだ方が得。
- つらいときには休息も必要。
- 本当につらいときにはやめるのもあり。
周りの人も大切だけど、自分自身も大切
私がつらい時期を乗り越えることができたのは「学校を適度に休んだから」だと思います。そのおかげで心がパンクすることはありませんでした。
もし、本当につらいのであれば、休むことをおススメします。「周りの人に迷惑がかかるから休めない」と思うかもしれませんが、体調を崩して長期離脱する方がよっぽど周りの人に迷惑をかけます。
休むと周りの人がサポートしてくれるものです。周りの人が休んだときに、サポートして恩返しをすればいいだけです。
周りの人も大切ですが、まず自分自身を大切にしてください。