学校授業を早急にオンラインにすべき理由。今の教育体制のままでは日本が危ない

学校授業を早急にオンラインにすべき理由。今の教育体制のままでは日本が危ない

 
2020年3月、コロナウィルスのせいで学校が臨時休校になった。4月、5月と休校が続くうちに、

学校授業をオンラインにするべきだ

そんな声がちらほら挙がっていた。

 
2020年6月現在、学校は再開されているので、そんな声を聞く機会はほとんどない。

だが、あえて「学校授業をオンラインにすべきかどうか」について考えてみたい。

 
結論から言うと、早急にオンラインにすべきだと私は考えている。(中学校以上の授業に対して)

 
感染防止対策のためではない。

今の教育体制のままでは、日本が危ないと感じているからだ。

 
私は、塾講師の経験がある。そのため、現在の「対面式授業」の良さを十分理解している。

それでもなお、オンライン授業に移行すべきだと考えている。

オンライン授業には、それだけのメリットがあるからだ。

今の教育体制のままでは、日本が危ない

今の教育体制のままでは、日本が危ない。

 
今の教育体制が悪いと言っているのではない。

むしろ、世界的に見ても素晴らしい教育体制になっている。

 
ただし、「今までは」という話だ。

 
世の中の環境はどんどん変わっている。それなのに日本の教育体制は依然として昔のままだ。江戸時代の「寺小屋」とさほど変わらない。

それでは他国に「教育」で後れを取ることになる。

 
実際、世界の大学ランキングにおいて、日本の大学はじりじりと順位を下げ始めている。

日本の教育水準が下がっているのではない。他国の教育水準が上がっているのだ。

 
そして今、「オンライン授業」という、これまでにない、全く新しい教育方法が確立されつつある。

オンライン授業には、教育体制を抜本的に変えるだけのポテンシャルがある。(理由については後ほど説明する。)

もし、他国がオンライン授業を取り入れて、日本が取り入れなかったら、日本の教育水準は相対的に下がっていく一方だ。

 
教育は、国の力を左右し得るものだ。他国に教育面で負けると、経済面でも負ける可能性がある。

経済力が下がると、社会が荒れ始める。治安が悪くなる。

デモや内乱が起こるかもしれないし、今までは無縁だった戦争にまで発展する可能性もある。

 
今の日本の「平和」を支えている一因が、教育なのだ。

実際、日本は教育をとても大切にしている。そのことに対しては、日本人の1人として誇りに思っている。

 
だが、今のままではダメなのだ。一昔前までは、インターネットなんて存在しなかった。

周りが変わっているのに、自分が変わらなければ取り残されてしまうだけだ。

 
何事も、どこかのタイミングで大変革が起こり得る。

それが今なのだ。

困るのは大人達ではなく、子供達

日本は教育体制が確立されている。確立されたものを変えるのは大変だ。

改革にはかなり長い年月を要するだろう。

 
旧教育体制に慢心しきった大人達の中には、改革に反対する人も出てくるだろう。

それはそうだ。変わるのは恐ろしい。それに、かなりの労力を必要とする。

できれば、誰もが変わりたくないと思っている。

 
だが、大人達が楽をしたツケは、今の子供達やこれから生まれてくる子供達に回ってくる。

まるで、年金問題のようだ。今を生きる大人がそれでいいのだろうか。

 
今、変わらねばならないのだ。子供達のために。未来の日本のために。

学校授業をオンラインにするメリット

学校授業をオンラインにしても、メリットだけがあるわけではない。

逆に取り入れることによって、デメリットも発生する。

だが、「子供達の学力を伸ばす」という観点で考えると、メリットの方が大きいように思う。

 
まずは、メリットについて紹介する。デメリットとその対策案については後ほど紹介する。

「空間」と「時間」の制約から解放される

オンライン化の一番のメリットは、「空間」と「時間」の制約から解放されることだ。

 
例えば、沖縄の生徒が、北海道の先生の授業を受けることができる。

移動時間は必要ない。回線をつなぐだけだ。

「瞬間移動」を手に入れたともいえる。

 
休校になった際に「学校授業をオンラインにするべきだ」と声を挙げていた人は、おそらく、「今通っている学校」と「自宅」と間でのオンライン授業を想定していたと思われる。

だが、そんなことをする必要はないのだ。

オンラインを利用すれば、日本全国どこの学校の授業でも受けられるようになる。

生徒が、先生を選べるようになる

生徒が、先生を選べるようになる。

これは画期的ではないだろうか?

 
今までの学校教育では、生徒が、先生を選ぶことはできなかった。

 
なぜなら、「定員」があったからだ。

 
仮に、人気のある先生に1,000人もの生徒が集まってしまえば、教室に入ることができない。授業を受けることができない。

 
その先生の授業を受けられる生徒もいれば、受けられない生徒もいる。

そんな不平等性を避けるために、生徒に先生を選ばせることをさせなかった。

 
だが、オンラインにすれば、「定員」の概念がなくなる。

オンラインで授業を配信すれば、何人でも受講できる。

定員を気にせず、自分の好きな先生の授業を受講できるようになるのだ。

 
 
日本全体を見渡せば、「物凄くわかりやすい」「物凄く楽しい」、そんな授業をしてくれる先生がいる。

その先生の授業を受けられるようになる。

 
今までよりも、授業が楽しくなる。勉強が楽しくなる。学力が伸びていく。

先生の当たり外れが少なくなる

世の中には、素晴らしい先生がいる。

その一方で、そうではない先生もいる。例えば、犯罪を犯す先生、やる気のない先生など。

つまり、先生の当たり外れがある。

 
だが、先述のように、生徒は先生を選べない。

 
良い先生に当たる生徒がいる一方で、そうではない先生に当たる生徒もいる。

さらに言えば、日本で一番教えるのが上手い先生に当たる生徒が一方で、その逆の生徒もいる。

前者はぐんぐん学力が伸びる一方で、後者はその逆になる。

 
だが、生徒は先生を選べない。どんな先生に当たるかは「運」次第。

これではあまりに不公平ではなかろうか。

 
教育は子供の将来を決めるといっても過言ではない。

先生のせいで、未来を奪われてしまう子供が少なからずいるということだ。

 
オンラインにしたからといって、全てを解決できるわけではないが、多少はマシになるはずだ。

生徒達は、自分の好きな先生の授業を受けられるようになる。

やる気のない先生、嫌いな先生の授業をわざわざ受けなくてもいいのだ。

自由な時間に受講できるようになる

録画した授業動画を配信すれば、自由な時間に受講できるようになる。

今までは、授業中に寝てしまったり、授業を休んだりしてしまうと、その部分の授業の内容を聞くことができなかった。

 
だが、オンラインであれば何度も見直すことができる。

聞いていなかった部分、わかりにくかった部分を何度でも見直せる。

体調不良になっても、回復後に、前回の続きから授業を受けることができる。

1時限「50分」の制約から解放される

今の授業は1時限あたり50分程度だ。

だが、授業には「流れ」がある。

例えば、日本史や世界史であれば、それぞれの史実にストーリーがある。

それらを説明する時間が、ちょうど50分になるなんてことはまずない。

 
熟練の先生は、50分に収めるために、物語を引き延ばしたり、省いたりする。

だが、ダラダラと話を引き延ばされると聞き手はしんどくなるし、逆に、極端に省かれると意味がわからなくなってしまう。

 
あるいは、若手の先生であれば、50分に収まらずに「この続きは、次の授業で」なんてことになりかねない。

だが、歴史の授業を途中で区切られたら最悪だ。次に聞くときには前回の内容をすっかり忘れてしまっている。

史実には因果関係があるのに、そこがわからなくなってしまう。

 
つまり、「50分」という制約が、授業をつまらなくしている。わかりにくくしている。

 
だが、超一流の先生(例えば、チケットが即日完売すると言われている「講談師の神田伯山先生」など)であれば、「この続きは、次の授業で」を逆に上手く使えるかもしれない。

ドラマなんかはこの手法を使っている。次の授業が待ち遠しくなる。

 
世の中にはそんなことができる先生もいるだろう。

そんな先生の授業を受けることができる生徒がいる一方で、受けられない生徒がいる。

やはり、不平等だと感じてしまう。

そもそも、50分は長すぎる

そもそも、50分は長すぎる。

集中力を保てないし、眠くなってしまう。

 
授業が15分くらいだったら、生徒も頑張ろうと思えるだろう。(たぶん)

 
15分授業を受けたら一休み。また15分授業を受けたら一休み。

この方が集中力を保ちやすい。

 
だが、15分毎に休憩を入れていたら、授業が全然進まなくなってしまう。

休憩でなくても、気分転換になることをやれば、集中力を保ちやすくなる。

例えば、確認テストなどだ。

授業の理解度も深まるので一石二鳥だ。

 
こんなイメージだろうか。

 
授業15分
→ 確認テスト
→ 答え合わせ・内容理解
→ 授業15分
→ 確認テスト
→ 答え合わせ・内容理解

 
だが、確認テストにかかる時間は生徒にとってまちまちだ。

答え合わせや内容理解にかかる時間も生徒によってまちまちだ。

そもそも、授業もぴったり15分で終わるわけではない。

 
それなのに、50分ちょうどで区切るというのは、ムリがあるのだ。

 
オンラインであれば、「50分」の制約に縛られる必要はない。

「40分」だろうが、「60分」だろうが、生徒にとって都合の良い時間で授業を区切ることができる。

曜日の制約から解放される

今の授業は、

月曜日の1時限目は数学
火曜日の1時限目は国語

などのようになっている。

実は、これも非効率なのだ。

 
先述のように、授業には「流れ」がある。

「30分」がちょうどいい場合もあるし、「120分」がちょうどいい場合もある。

「120分」であれば3回以上に分けざるを得ない。

 
だが、今までの授業は、「〇曜日の△時限目は□□」なんて決まっている。

もし、週に1回しかない授業であれば、3週に分けて授業を受けることになる。

 
だが、1週間も経てばすっかり忘れてしまう。

2週目、3週目の授業は全く頭に入ってこなくなる。

 
3週に分ける授業なんて、ある意味「超大作」だ。それなのに「超駄作」になってしまう。これでは非効率すぎる。

 
オンラインであれば、同じ日に一気にまとめて受講できる。

 
ちなみに、今の教育体制でそれをやろうとすると、先生の時間が合わなくなるはずだ。

先生は1クラスだけ持っているわけではない。複数のクラスの授業を担当している。

時間割を動き回すと、他のクラスの時間割とバッティングしてしまうのだ。

先生が何度も同じ授業をする必要がなくなる

オンライン授業にすれば、先生が何度も同じ授業をする必要がなくなる。

 
学校の先生は、実は、何度も何度も同じ授業を繰り返しているのだ。

例えば、1学年5クラスの数学担当になれば、週に5回、同じ授業をすることになる。

来年も再来年も、そのまた先も、教材が変わらない限り、同じ授業を繰り返すことになる。

 
これでは非効率だ。というよりも、年を重ねるにつれてモチベーションが下がってしまう。私の偏見かもしれないが、実際にそうなっている先生が多い気がする。

 
オンラインであれば、一度授業をした後は、録画動画を配信するだけだ。

今まで授業に使っていた時間を他のことに使えるようになる。

例えば、生徒の進路指導などに。

 
「前回の授業はいまいちだ。もう一度撮り直したい。」

そんなプロ意識の高い先生もいるだろう。

 
その場合は満足するまで撮り直せばいい。

生徒達にとっても、その方がありがたい。

自分の学力レベルに合った授業を受講できる

オンラインであれば、自分の学力レベルにあった授業を受講できるようになる。

私が、学校授業をオンラインにすべきだと思う一番の理由はこれだ。

 
今の学校教育だと、「生徒の学力レベル」と「授業レベル」の不一致が簡単に起こってしまう。

なぜかといえば、「集団授業」だからだ。

 
例えば、1クラス30人の場合、「30人全員の学力レベル」と「授業レベル」が完全にマッチすることはまずない。

学力の高い生徒もいれば、学力の低い生徒もいる。

前者は、授業が簡単すぎて授業を受ける意味がないし、後者は、逆の意味で意味がない。

 
そして、これらの生徒の数は決して少なくないのだ。

おそらくだが、全体の4割程度はこの状況に陥っていると思われる。(2:6:2の法則に従うとすると、概ね、上位2割、中位6割、下位2割の割合になると推察される。)

見方を変えれば、今の学校教育は全体の6割を育てて、4割を切り捨てる教育ともいえる。

 
下位2割の人達は、授業についていけなくなり、落ちこぼれるしか道がなくなってしまう。

落ちこぼれてしまう人は、好き好んで落ちこぼれているのではない。今の教育体制がそうさせているのだ。

 
上位2割の人達は、そこまで問題ないように思われるかもしれないが、やはりこちらも問題だ。

成長を促進する教育ではなく、成長を抑制する教育になっている。こんなものは教育ではない。

日本には秀才は多いが、天才は少ないとよく言われる。その理由がここにあるように思う。

 
 
とはいうものの、全員を育てることなどできない。先生の数にも時間にも限りがあるからだ。

ある程度は仕方ないことなのだが、切り捨てられた生徒達は、授業の時間をムダに過ごすことになる。

これでは国の損失にもなるし、何より当事者である本人達が可哀想だ。

 
オンラインにすれば、自分の学力レベルにあった授業を受講できるようになる。

今までのように切り捨てられる子供達が少なくなる。

実際、苦しんでいる生徒を数多く見てきた

私は、冒頭で述べたように塾講師の経験がある。高校生の数学を担当していた。

その際に「学力レベルと授業レベルの不一致」で苦しんでいる生徒を、数多く目の当たりにしてきた。

 
一番多かったのが、中学校の成績は良かったのに、高校で全くついていけなくなるパターンだ。

 
中学校の勉強は、量も多くなければ、そこまで難しくもない。

そのため、塾に通ったり、日頃からコツコツと勉強することで、「進学校」と呼ばれる高校に合格できてしまう。(一部の超難関校を除いて)

 
だが、高校の勉強は、中学校のそれとは全くの別物だ。量も多いし、難易度も格段に上がる。

そのため、「進学校」の授業進度は物凄く速くなり、課題の量も物凄く多くなる。中学のノリで勉強していると、あっという間に落ちこぼれてしまう。

 
これは今の教育体制に問題があるのではないかと思う。

「中学校」と「高校」の学習内容レベルの差が大きすぎるのだ。

 
本来であれば、「中学校」のレベルを上げるか、「高校」のレベルを下げるべきだ。

 
だが、それは現実的ではない。

「中学校」のレベルを上げると、「小学校」と「中学校」の差が大きくなりすぎてしまう。

「高校」のレベルを下げると、「高校」と「大学」の差が大きくなりすぎてしまう。

 
図式するとこんな感じだろうか。

 
【現状】
小学校<中学校<<高校<大学

【中学のレベルを上げた場合】
小学校<<中学校<高校<大学

【高校のレベルを下げた場合】
小学校<中学校<高校<<大学

 
「大学」のレベルを下げる方法もあるのだが、それをやってしまうと、国全体の学力レベルが下がってしまう。

 
小学校のレベルを上げる方法もあるのだが、そんなことをやってしまえば、「勉強」しかできない子供がたくさん出てきてしまう。

「学力」も大事だが「学力」だけあっても仕方ないのだ。そんな子供が増えれば、おそらく、日本は崩壊してしまう。そうならなかったとしても、人間味のない、なんともつまらない国になってしまう。

 
つまり、「中学校」と「高校」の学習内容の差が大きいことは、問題ではあるのだが、ある意味仕方のないことだ。

 
本当の問題はそこではない。

本当の問題は、このような状態にもかかわらず、集団授業によって「横並び」で進ませようとしていることだ。

 
登山に例えると、「中学校」は緩やかな上り坂で、「高校」は急な上り坂のイメージだ。

山を早く登れる人もいれば、ゆっくりとしか登れない人もいる。

それなのにみんなを同じスピードで進ませようとする。

 
早く登れる人は休憩ばかり入るので、逆に疲れるし、モチベーションが下がってしまう。

ゆっくりとしか登れない人は、中学校まではついていけるかもしれないが、高校になるとついていけずに途中でリタイアしてしまう。

 
これが今の教育なのだ。

「横並び教育」は、日本人流の「思いやり」なのかもしれないが、結果として苦しむ人を増やしている。

 
オンラインにすれば、「横並び」にする必要がない。

早く進める人はどんどん先に進めばいい。ゆっくりとしか進めない人はゆっくり進んでいけばいい。

各々が自分に合った授業を受講すればいいのだ。

 
今まで切り捨てられたきた人達が救われる。

だから、オンラインにすべきなのだ。

 
余談になるが、高校受験で「進学校」にギリギリで合格するレベルであれば、その学校には行かない方がいい。

授業についていけなくなる可能性が非常に高い。仮についていけたとしても毎日が辛くなる可能性がある。

ムリをせずに、自分の実力に見合った学校に進学することをおススメする。そちらの方が、将来的には学力が伸びる。

「天才」をもっと輝かせることができる

世の中には「天才」と呼ばれる人達がいる。

天才の定義は少しあいまいだが、ウィキペディアによると「人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す」と書かれている(一部抜粋)。

 
今の教育では、この「天才」を埋もれさせてしまうのではないか。そんな危機感がある。

 
私は、職業柄、稀にだがそのような「天才」に出会うことがある。

例えば、塾講師時代に、そのような生徒を担当したことがある。

その生徒は、高校2年生の時点で東大・京大に合格できるだけの学力を身につけていた。

どうやら、写真を撮るようなイメージで記憶できてしまうらしい。当然、学習速度も物凄く速い。

 
このような、いわゆる「天才」は、学校の授業から何を学べばいいのだろうか?

 
もちろん、学校で学ぶことは勉強だけではない。人間関係だったり、規律だったりと学ぶべきことはたくさんある。

だが、学校にいる時間の大半は「授業」だ。その生徒にとって、その時間はムダでしかない。

 
にもかかわらず、学校の先生からは「授業を聞け」と指導されていたらしい。正直、私はその先生の意図がわからなかった。

 
今の日本の教育のままでは「天才」が埋もれてしまう。そんな危機感を持ってしまった。

それでは国の損失だし、何より本人が可哀想だ。

 
オンライン授業にすれば、自分のペースで自分の学力に合った授業を受講できる。

「天才」をもっと輝かせることができるようになる。

授業時間を省略できる

オンライン授業にすれば、授業時間を省略できるようになる。

例えば、既に理解している授業を早送りする、など。

 
自分の理解している授業をわざわざ聞く必要はないのだ。

 
今の教育体制では「授業を聞け!」と指導される。

それゆえ、「授業を受けること」を「勉強」だと勘違いしてしまう人がいる。

 
だが、勉強とは「新たな知識を身につけること」だ。

教科書を読んで理解できるのであれば、教科書から勉強すればいい。わざわざ授業を聞く必要などないのだ。

授業も教科書も勉強の手段の1つに過ぎない。

 
ただ、授業の方が「わかりやすい」、「理解しやすい」といった特徴がある。(先生の腕にもよるが)

それゆえ、先生は「授業を聞け」と指導することになる。

 
一方で、時間がかかるという欠点もある。

教科書で理解できるのであれば、教科書の方が圧倒的に短い時間で勉強できる。

 
アニメとマンガを比較するとわかりやすいだろう。

アニメは、動きもあるし、音もある。基本的には、マンガよりも面白い。

だが、マンガに比べると物凄く時間がかかるのだ。

マンガだったら5分で読めるのに、アニメだと20分かかる。そんなことはよくある。

 
アニメは面白いので、時間がかかっても良いかもしれない。

一方、授業はどうだろうか?

長い時間をかけて勉強したいだろうか?

おそらく、多くの人が短い時間を望むだろう。

だったら、本来は教科書や参考書などから勉強した方が効率が良いのだ。
 

世の中には、教科書や参考書だけで勉強できる人が一定数いる。

その生徒達に強制的に授業を受けさせるのは得策ではない。

わからないところは授業を聞いて、わかるところは教科書で勉強していく。

オンラインであれば、それができるようになる。

今の教育体制でも、やろうと思えばできるのだが、先生の反感を買うことになるだろう。

 
一方、教科書よりも授業の方が良いという生徒もいるだろう。

授業には、教科書や参考書にない「良さ」がある。

その生徒は授業を聞けばいいのだ。

オンラインにすることで、各々に合った勉強ができるようになる。

入試制度が大きく変わる

オンラインにすることで、入試制度が大きく変わる。

 
なぜ入試が行われるかといえば、人数を「定員」にまで絞るためだ。

400人しか入れない学校に、10,000人を入学させることはできない。

だから、入試によって400人まで絞り込む。

 
だが、オンラインにすれば「定員」という概念がなくなる。

オンラインで授業を配信するのであれば、何人でも授業を聞くことができる。

東大教授の講義を誰でも聞くことができるようになる。

つまり、今までのような入試制度が不要になるのだ。

 
とはいっても、完全に入試制度を廃止するわけにはいかないだろう。

「講義」はオンラインで受講できるとしても、「実習」や「研究」はオンラインではできない。(研究によっては、できるものもあるかもしれないが。)

つまり、定員の概念が存在する。

すなわち、選別試験のようなものが必要になる。

 
だが、選抜試験は、今の入試制度に比べればだいぶマシになるはずだ。

5教科絶対主義から解放される

今の教育は「5教科絶対主義」といえるだろう。

 
5教科の成績が良い人が、有名大学に進学できる。

そして、有名大卒の学歴を持っている人が就職しやすくなる。

そんな社会になっている。

 
なんともおかしなことになっているのだ。

企業は「5教科の成績を良い人」を採用したいのだろうか?

 
そんなことはないはずだ。

自社の発展に貢献してくれる。そんな人を採用したいはずだ。

少なくとも「5教科の成績の良い人」ではない。

 
だが、企業の意図も理解できる。

5教科の成績の良い人は、「頭が良い人」、もしくは、「コツコツと努力できる人」のいずれかだ。

どちらにしても、企業にしたら欲しい人材だ。

 
だが、これらを判断するためにわざわざ「5教科」を引っ張り出す必要はない。

例えば、1教科だけでもそこそこ判断できるし、2教科もあれば十分判断できるはずだ。

実践的な勉強に時間を費やせるようになる

もし、2教科だけ勉強すればいいのであれば、3教科分の時間が浮く。

その時間をもっと実践的な勉強に費やすことができる。

 
例えば、プレゼンの練習やディスカッションなどに。いわゆる、日本人が苦手としている分野だ。

 
あるいは、将来プロ野球選手を目指している人であれば、

「体の構造の知識」
「栄養の知識」
「トレーニングの知識」
「戦術の知識」

などを勉強したいはずだ。

オンラインであれば、5教科以外の知識も簡単に学べるようになる。

 
あと、せっかく学校に多くの子供達が集まっているのであれば、「集まらなければできないこと」にもっと時間を費やすべきだ。

勉強は、1人でもやろうと思えばできる。家でもできる。

わざわざ、学校にまで出てきて、ガリガリと5教科の勉強をするだけではもったいない。

 
「集まらなければできないこと」とは、例えば、グループで何かを造る、などだ。コミュニケーション能力が磨かれる。

他にも映画鑑賞なんかもいいと思う。1人で見るより大勢で見た方が、終わった後に色んな議論ができて面白い。

普段は子供達が見ないような、過去の名作などを見せれば感受性が磨かれる。

 
5教科の時間を減らすことができれば、学校の時間をもっと有効に使えるようになるだろう。

5教科を軽視しているわけではない

決して、5教科を軽視しているわけではない。

5教科はとても重要だ。

少なくとも中学レベルの内容は、身につけておかないと日常生活や仕事でも困るだろう。

 
だが、高校レベルの内容は、そこまで必要ないはずだ。

正確には、5教科全ての知識は必要ないはずだ。

例えば、英語をバリバリ使う人にとっては、英語は必要だが、数学の知識はそれほど必要ないはずだ。

 
試しに、今の大人達にセンター試験(2020年度からは「共通テスト」に名称が変更)を受けさせてみればいい。

 
おそらく、とんでもなく低い平均点になるはずだ。

例えば、sin30°、cos60°、tan45°の値を正確に答えられる人は、物凄く少ないのではないだろうか。(ちなみに答えは、順番に「1/2、1/2、1」だ。)

 
つまり、高校で習ったことは身についていないし、社会人になってからもそれほど使わないということだ。

そんな教育を基準に社会を構築しても、おかしなことが起こるだけだ。

子供達も、「5教科を勉強しろ」と言われてもいまいち納得できない。

オンラインなら個別育成が容易になる

今まではある意味仕方なかった。

1人1人を個別に育成しようと思えば、膨大な数の先生が必要となる。

数が多くなれば、教え方もバラバラになってしまう。統制がとれなくなる。そもそも、それだけ多くの先生がいれば教育費(もしくは、税金)がバカ高くなってしまうだろう。

色んな意味で合理的でない。

 
だが、オンラインを使えば、個別育成が容易になる。

先生を数多くする必要はない。

 
例えば、生徒達が

「経済学を勉強したい」
「統計学を勉強したい」
「プログラミングを勉強したい」

そんなことを言い出したとしても

「じゃあ、この講座を受講すればいいよ」

そう伝えるだけだ。

 
今までだったら、教室の準備や先生の準備が必要だった。

オンラインであれば、そんな手間がなくなる。

つまり、一人一人を個別に育てることが容易になるのだ。

企業側の採用も効率化される

企業側の採用も効率化されるだろう。

今ままでは、募集要項に「大卒以上」なんて書かれていた。

 
これでは、募集要項がぼんやりし過ぎている。

これでは集まってくる人材もぼんやりしてしまう。

 
企業側は、合否を判定するのがたいへんだ。

応募する側も、ムダな不採用通知を受ける機会が多くなる。

 
このようになってしまうのは、みんながみんな同じような教育を受けているからだ。

今の教育だと、同じような人が出来上がってしまう。個性を失わせる教育ともいえる。

 
個性が見えなけば、企業側は採用が難しくなる。応募する側も道に迷ってしまう。

 
だが、オンラインにすれば、「自分の得意分野を伸ばす教育」、「自分の将来の夢につながる教育」を受けることができる。色んな個性を持った人達が出てくる。

企業側も、応募要件をもっと細かく設定できるようになる。

企業側は自社に合った人材を選びやすくなるし、応募する側も自分に合った企業を選びやすくなる。

 
十人十色の教育を受けた人が、適材適所に配置されていく。

国の経済力も上がるし、何より電車内で暗い顔をしたサラリーマンの顔が減っていくはずだ。

進路変更が容易になる

進路変更が容易になる。

今までの教育体制の場合、理系から文系への変更、いわゆる「文転」のハードルが高かった。

多くの生徒が理系から文系へ移動してしまうと、教室が満杯になりかねない。

また、途中から移動すると、すでに終わってしまった授業を受けることができない。

 
だが、オンラインであれば「定員」はないし、授業を最初から受けられるようになる。

つまり、進路変更のハードルが下がる。

経済力による学力格差が少なくなる

また、経済力による学力格差が少なくなる。

今までであれば、お金持ちだけが、名門私立学校に行ってエリート教育を受けることができた。あるいは、高額な学費の名門塾に通うことができた。

だが、オンラインであれば、日本で一番教え方の上手い先生の授業を、誰もが受けることができるのだ。

 
経済力のせいで学力を伸ばせなかった生徒達が、学力を伸ばせるようになる。

 
つまり、国全体の学力が上がっていく。国の発展につながっていく。

不登校の生徒が復帰しやすくなる

オンラインであれば、不登校の生徒が復帰しやすくなる。

 
不登校になってしまうと、授業から遅れてしまう。

不登校の原因が人間関係だったとしても、時間が経ち過ぎると、授業についていけないことが重荷になる。

まさに、負のスパイラルだ。

 
だが、オンラインであれば、家でも勉強を進めることができる。

勉強が原因で復帰しにくい、といった事態を避けることができる。

今までに比べれば、復帰しやすくなるだろう。

学校を休めるようになる

家で勉強できれば、学校を休めるようになる。

 
「学校を休めるようになる」

というとデメリットのように感じるかもしれない。

 
そう感じさせるのは今の社会のせいだ。

「学校には必ずいけ。サボるな」

が常識になっている。

 
だが、子供達だって休みたいときはあるはずだ。

とくに、女性は体の関係で、学校に行くのが辛い日もあるだろう。

 
「授業に遅れるのがイヤだから」
「先生や親に怒られるのがイヤだから」

そんな理由で、無理して学校に行くなんて馬鹿げている。

 
オンラインであれば、休んでも巻き返しができる。

 
ただ、自由に休めるようにすると、みんな学校に来なくなってしまう。

それはそれで色んな問題が起こるだろう。

 
社会人の有給休暇のように、年に何回かは休みを自由に取れるようにすればいい。

大人だけ「自由に取れる休み」があって、子供にないのは不公平だ。

たまには、平日の昼間に堂々とディズニーランドやUSJに行けばいいのだ。

 
というより、そんな教育をしているから、有休が取りづらい社会が生まれているのではないだろうか。

大人達に有給があるのであれば、子供達にも同じ制度を設けるべきだ。

子供達に設けないのであれば、大人達も休むべきではない。

今の社会では、大人よりも子供の方がはるかに忙しいのだ。学校授業、宿題、部活、塾、生徒会などがあるのだから。子供達は、土日にゆっくりと休んでなんていられないのだ。

メリットまとめ

ここで一旦、学校授業をオンラインにしたときのメリットについてまとめたいと思う。

オンライン化のメリットを一言でいうと、

子供達1人1人が自分に合った教育を受けることができる

ということだ。

 
このような教育が本来あるべき姿なのだが、人員や空間、時間などの制約からそれができなかった。

だが、オンラインにすればできるのだ。

この技術を使わない手はない。

学校授業をオンラインにするデメリット

だが、メリットだけではない。当然、デメリットもある。

これからデメリットとその対策案について紹介する。ただし、対策案は私の案(1つの案)であって最適案ではないことを事前にご了承頂きたい。

緊張感がなくなる

デメリットとして、まず挙げられるのは「対面式授業の良さが失われること」だろう。

例えば、緊張感がなくなってしまう。

 
今までは、目の前には先生がいて、隣には友達がいた。

それだけで空気が引き締まる。

「勉強をやらねば」という雰囲気になる。

 
一方、自宅でオンライン授業を受講した場合、気が緩んでしまう。勉強に対するモチベーションを保ちづらくなる。

【対策】学校でオンライン授業を受ける

この対策としては、やはり学校に行くことが有効だろう。

ただ、わざわざ遠くの学校に行く必要はない。最寄りの学校に行けばいい。

小学校や中学校と同じスタイルだ。

 
教室に生徒の人数分だけのモニターを設置して、そこでオンライン授業を受講すればいい。

これで隣に友達がいる環境を作ることができる。

 
あとは監督者だ。監督者は先生である必要はない。

例えば、定年退職した人などを雇用すればいいと思う。高齢者の雇用拡大にもつながる。

 
監督者がいて、友達がいる。

対面授業と同じような環境を創り上げることができる。

臨場感がなくなる

臨場感がなくなることもデメリットだ。

直接見るのと、画面で見るのとではやはり違う。

 
だが、物は考えようだ。

例えば、野球を外野席で観戦する場合、臨場感はあるものの、選手が見えにくいといったデメリットもある。

正直、テレビの方が見やすいし、面白く感じることもある。

 
オンライン授業も、臨場感を得られない代わりに、それ以上のメリットが得られるように思う。例えば、黒板の内容をゆっくり写すことができる、など。

 
もしかしたら、VR(※)を活用すれば、臨場感を演出できるかもしれない。

だが、学校でやるのは非現実的だろう。

VRを体験している間は、現実世界の状況が全く見えなくなる。

目隠しをしている状態と同じだ。元気な子供達がたくさんいる中でそんなことをしたら、いたずら合戦が始まるのは目に見えている。

 
そもそも、臨場感のためだけにそこまで手間をかけるのは得策ではないように思う。

※ VR:「Virtual Reality(仮想現実)」の略。ゴーグルなどを使用して、あたかもその場にいるように感じさせる技術。

モニターなどの機材が必要になる

モニターなどの機材が必要になるが、これは国にお任せするしかない。

ちょっと不気味?可哀想?

イヤホンをした生徒達が、モニターの前に座っている。教室は無音。

ちょっと不気味にも感じるかもしれない。

 
だが、これは見慣れているか見慣れていないかだけの話だ。

現状の学校風景も、冷静になって考えるとかなり不気味だ。

そこまで広くない部屋に、30人もの子供達が閉じ込められている。

 
人間ではなく、「人間と同じくらいの大きさの猿」が教室に30頭閉じ込められている状態を想像してみて欲しい。

おそらく、「動物虐待だ!」「可哀想・・・。」

そんな声が挙がるだろう。

だが、人間はまさにそれと同じことをしているのだ。

 
猫の多頭崩壊を見て非難する人がいるが、今の子供達も同じような環境下で勉強しているのだ。

本来はかなり不気味な状況だ。

2,000年前の人や2,000年後の人が見たら、おそらく腰を抜かすだろう。

 
だが、現代で不気味だと思う人はほとんどいない。

その状況を見慣れているからだ。それが当たり前だと認識している。

 
オンライン授業に変わったとしても、不自然さを感じるのは最初だけだ。次第に慣れてくる。批判するほどのことではない。

体調不良になる可能性がある

年がら年中、モニターを見たり、イヤホンをつけたりしていると目や耳が悪くなる可能性がある。場合によっては、肩こりや頭痛につながる可能性もある。

【対策】健康ガイドラインを決める

これらに関しては、健康ガイドラインを決めるしかない。

例えば、60分受講したら10分以上の休憩をはさむ。受講後は、ストレッチをする。目の体操をする。音量は10まで。など。

 
ストレッチや目の体操は、今の教育でも取り入れた方が良いように思う。授業に対する集中力が上がるはずだ。

質問できなくなる

質問できなくなることもデメリットだ。

ただ、現在の授業でも、わからないからといって授業中に手を挙げる人は少ないはずだ。

授業後も、質問するのは積極的な生徒ばかりで、消極的な生徒は質問しない。

そう考えると、質問の可否は、オンライン授業も対面授業もそこまで変わらないのかもしれない。

 
だが、質問ができない環境はやはりよくない。

質問対応担当の先生に、常時待機してもらう

質問対応担当の先生に、常時待機してもらえばいい。

学校の職員室でもいいし、オンラインを利用するのであれば、どこに待機してもらってもいい。

 
先生の数が足りなければ、大学生にも手伝ってもらえばいい。

生徒達は、先生よりも大学生の方が気軽に質問できるはずだ。

講座選びが難しくなる

オンラインにすれば、生徒が自由に講座を選べるようになる。

だが、完全に自由にしてしまうと、多くの生徒が道に迷うことになる。

自由過ぎると、逆に不自由になるといったところだろうか。

ある程度の強制力や指針が必要だ。

【対策】マニュアル化する

その対策は、やはりマニュアル化するしかない。

例えば、

「パイロットを目指す人は、この講座を受けて、その次は、この講座を受ける。」
「パティシエを目指す人はこれ」
「プロボクサーを目指す人はこれ」

など。

 
選択肢はたくさんあるけど、ゴールまでの道筋がしっかりわかるようになっている。

そんなマニュアルがあれば、生徒が途中で道に迷わなくなる。

 
だが、完全に1本道にしてしまうと、難易度が合わなかったり、先生が合わなかったりと、色んな不都合が出てくるだろう。それでは、オンライン授業の良さが失われてしまう。

 
生徒自身がある程度は選べるような仕組みが必要だ。

難易度に関しては・・・

難易度に関しては、「この講座の受講レベルは偏差値50から55まで」などのように明示してあれば、生徒自身が選べるようになる。

先生に関しては・・・

一方、先生に関しては、選択肢が多すぎてなかなか選べないだろう。

オンラインであれば、日本中の先生の授業を受講できるようになるからだ。

何かの指標が必要だ。

 
だったら、「先生をランキング」すればいい。

「わかりやすい」など、人気ある順にランキングすればいい。

「自分の学力の範囲内」で「人気の高い先生」を選ぶことで、自分に適した講座に辿りつきやすくなる。

 
「先生をランキングするなんて・・・」

そう思われる人もいるかもしれない。

だが、全く気にする必要はない。なぜなら、先生達は四六時中、生徒達をランキングしているからだ。テストや通知表などで。

 
先生達もランキングされることに異論はないはずだ。自分達もやっているのだから。

自分はやっているのに自分がされるのはイヤだ。そんなことを思う先生がいるのであれば、先生という職業をやめた方がいい。

そんな自己中心的な先生に教えてもらう子供達が可哀想だ。

 
そして、ランキング下位の先生に対しては、「教える権利をはく奪する」もしくは、「一から研修し直す」などの対策をすべきだ。

 
私は職業柄、生徒達から学校の先生の怠慢をよく耳にする。(逆に、素晴らしい先生がいることを聞くこともある。)

先生という職を選んでおきながら、「教える」「育てる」ことに熱意をもっていない先生が少なからずいるように思う。

 
「教えること」は「時間を奪うこと」でもあるのだ。

下手をしたら、子供達の将来も奪ってしまう可能性もある。

 
先生をランキングすることで、熱意のない先生は自ずと排除されていくだろう。

先生達にとっては厳しい環境になるかもしれないが、生徒達にとってはメリットしかない。

教育は本来「生徒達」のためにあるものだ。だったらそちらの方がいい。

アドバイザーに相談できる環境を整える

あと、「アドバイザーに相談できる環境を整えること」も重要だ。

どんなにマニュアル化しても、生徒が自分1人で講座を選ぶのは難しいだろう。

 
先生などのアドバイザーが必要だ。

教材の管理がややこしくなる

みんながバラバラに授業を受けると、教材の管理がややこしくなる。

だが、これは、先述の「マニュアル化」で対応できるはずだ。

 
どのルートを選ぶかが決まれば、教材は自ずと決まる。

ややこしくはなるが、対応できないことはない。

ただ、人が管理すると間違いが多発する可能性があるので、パソコンなどのコンピューターを用いてシステマティックに管理することが必要になるだろう。

今までのような定期テストができなくなる

オンラインにすると、進度がバラバラになる。

また、同じ単元でも難しい授業を受ける生徒もいれば、簡単な授業を受ける生徒もいる。

今までのような定期テストが出来なくなってしまう。

 
受ける側からしたら、鬱陶(うっとう)しい定期テストだが、実は、かなり重要な役割を担っている。

 
定期テストの目的の1つは「順位を決めること」だ。

何事にも「定員」がある。

定員に絞るためには、何かしら順位を決める必要がある。

今までであれば、「順位」は、入試や就職に使われていた。

 
定期テストのもう1つの目的は「生徒の学力を伸ばすこと」だ。

定期テストのおかげで、知識を定着させることができる。

また、「順位」があるおかげで、「競争心」が生まれる。

競争心があると、勉強に対するモチベーションが上がる。

成績が伸びやすくなる。

 
このような理由で、定期テストは物凄く重要だ。

オンライン授業にしたとしても、定期テストは実施すべきだろう。

【対策】全国共通の定期テストを実施する

進度や難易度がバラバラだからといって、定期テストの内容もバラバラにすると面倒なことになる。

先生が、テスト問題を作成するのも大変だし、採点するのにも手間がかかる。生徒も競う相手がいなくなってしまう。

 
だったら、「全国共通」の定期テストにすればいい。

進度については・・・

進度については、「この時期だったらこのくらいまで進んでいて欲しい」といった基準を作成し、それをもとにテストを作成すればいい。

進度がバラバラといっても、やはり「基準」は必要だ。

自分が遅れているのか、進んでいるのかがわかりやすくなる。

 
進度の遅い生徒は出題範囲まで終わらない可能性が出てくるのだが、それはそれでいいと思う。

遅れれば焦るので、勉強に取り組むようになる。

 
進度の速い生徒も復習できるようになる。いくら速く進んでも、知識が定着していなければ意味がない。

 
あと、進度が物凄い速い生徒、例えば、基準の1年先まで進んでしまった生徒は、「基準のテスト」と「1年先のテスト」の両方を受けさせればいい。

後ほど説明する「飛び級」の際に役立つだろう。

難易度については・・・

難易度に関しては、難しい問題、簡単な問題を織り交ぜればいい。

現在の「TOEICテスト」のようなイメージだろうか。

TOEICテストとは英語検定試験の1つだ。990点満点で簡単な問題から難しい問題まで様々な問題が出題される。

学力の有無に限らず受験ができて、学力に応じた点数が算出される。

このようにすれば、全国共通の定期試験ができる。

テスト問題は1ヵ所で作ればいい

「定期テスト作成委員会」のようなものを設置して、そこで作成したテストを各学校に配布すればいい。

中学1年生、9月レベルの数学の問題
中学2年生、9月レベルの数学の問題
高校1年生、9月レベルの英語の問題

のような感じだ。

「中学3年間、高校3年間の計6年間」+「5教科」分の試験問題を作成しようとすると30種類のテスト問題が必要となる。

一見面倒に思われるかもしれないが、そんなことは全くない。

今の教育の方が、もっと悲惨なことになっている。

 
なぜなら、学校毎に試験が異なるからだ。学校毎に先生が試験問題を作成している。

 
仮に学校が1,000校あるとすると、30,000種類のテストが作成されていることになる。

こちらの方がはるかにたいへんだ。

 
それに、テスト問題の内容は先生次第なので、いわゆる「良問」もあれば、「悪問」もある。

「悪問」を解かされる生徒は可哀想だ。時間をかけた割に身につくことが少ない。そんなこともあり得る。

 
そう考えると、どこか一箇所で内容をしっかりと吟味したテストを作成し、全国に配布した方が効率的だ。

先生のためにも、生徒のためにもなる。

 
開催頻度は、今と同じように3ヶ月に1回くらいが妥当だろうか。

進路が分岐し始めると、競争心を保つのが難しくなる

全国共通の定期テストを実施したとしても、進路が分岐し始めると、競争心を保つのが難しくなる。

中学までは5教科共通、高校からは分岐させるとすると、高校からの競争心を保つのが難しくなる。

 
少し極端な例かもしれないが、「数学しか受講しない人」や「英語しか受講しない人」が出てくるからだ。

科目が違うと競争心を保ちにくい。

 
例えば、「100メートル競走の選手」が、「砲丸投げの選手」に砲丸投げの飛距離で負けたところで何とも思わないだろう。

相手と「同じ舞台」に立たないと競争心を保ちにくい。

【対策】偏差値ごとにクラス分けをする

そんなときに役立つのが「偏差値」だ。

受験では、よく目にする偏差値だが、少しイメージしにくいかもしれない。

ざっくり説明すると、こんなイメージだ。

 
偏差値70:上位 2%
偏差値60:上位16%
偏差値50:上位50%
偏差値40:上位84%
偏差値30:上位98%
※ 小数点以下は四捨五入。

 
偏差値70は東大合格レベル、偏差値50は平均。そんなイメージだ。

 
偏差値は、集団の中で自分がどのくらいの位置にいるかを示してくれる数値だ。

 
本来であれば、「数学の成績が良い人」と「英語の成績が良い人」を比較することはできない。

だが、例えば、「数学の偏差値が60の人」と「英語の偏差値が50の人」がいれば、前者の方が「自分の武器を持っている人」だと言えるだろう。

 
もちろん、完全に公平な比較ではないし、そもそも、こんな比較自体あまり意味のないことなのだが、「競争心を持たせる」ということに関しては役に立つ。

「数値化」すると「順位付け」できるからだ。

「順位」があると「競争心」を保ちやすくなる。

 
「偏差値」ではなく「点数」で順位付けする方法もあるのだが、簡単なテストであれば高い得点になりやすいし、難しいテストなら低い得点になりやすい。別の科目を「点数」で順位付けすると不平等性が大きくなる。

一方、「偏差値」であれば、「点数」に比べれば公平性が増すだろう。

 
ただ、「偏差値」は受講者数が少ないと、「値の変動が大きくなりやすい」といった欠点がある。

だが、テストを「全国共通」にすれば、受講者数が多くなるので、そこそこ信頼できる数値になるだろう。

進路を決める時期が早くなる

「○○を目指す場合にはこのマニュアル!」

そんなマニュアルができたとしても、そのマニュアルをいつ選ぶかが問題になる。

 
仮に、中学1年生であれば、中学1年生の時点で将来の職業をある程度決めることになる。

 
だが、私の経験上、高校2年生の時点でも「将来はこれになるんだ!」とバシッと決まっている生徒は、それほど多くない。

中学1年生なら、なおさらだ。

【対策1】色んな職業のPR動画を見せる

色んな職業のPR動画を見せれば、自分の進むべき道が見えやすくなる。

オンラインなら、様々な動画を簡単に見ることができる。

わざわざ、いろんな場所に行く必要ない。

 
ただ、実際に見る、経験することも重要だろう。

気になる職業は、職業体験できる仕組みを作ればいい。

 
このことは、今の教育にも必要なことだ。今の教育でも職業体験などの機会があるにはあるが、少なすぎるように思う。

5教科の知識を増やすよりも、社会経験を積ませる方が重要だ。

「将来何になりたいのか」がわからないまま勉強に取り組んでも勉強のやる気が出ない。

 
いくら5教科を勉強をしたところで、将来やりたい道が見えるわけではないのだ。

 
そんな教育ばかりしているから、子供達は、「普段目にしやすい職業」を選んでしまうのではないだろうか。

例えば、親の職業、学校の先生、お医者さん、ユーチューバーなどだ。

 
世の中には色んな職業があるのにそれではもったいない。適職につければいいのだが、そうでなかったときは悲惨なことになる。毎日が苦痛になってしまう。

【対策2】中学校の学習内容が完了するまでは、学習内容を分岐させない

進路の決断を遅らせるための、もう1つの対策は、「中学校の学習内容が完了するまでは、学習内容を分岐させないこと」だ。

つまり、今までの中学校教育と同じだ。

そうすれば、高校1年のタイミングで進路を決めることになる。

中学1年のタイミングで進路を決めるよりはだいぶマシになる。

 
ただ、今までの教育と全く同じというわけではない。

全く同じにしてしまえば、「横並び教育」に戻ってしまう。

それでは、オンラインにする意味がない。

 
授業進度の速さや難易度は各自に決めさせればいい。

速い生徒はさっさと中学の学習内容を終わらせて、進路を決めていけばいい。例えば、中学3年生の時点で。

特定の進路に生徒が集まり過ぎてしまう

特定の進路に生徒が集まり過ぎてしまう可能性もある。

オンラインであれば、誰でも講義を受けれるようになるからだ。

だが、先に進んでいけば、いつかは「定員」という壁にぶつかる。

 
例えば、「医者を目指す進路」には誰でも進めるのだが、実際に医者になれるのは一握りだ。

100人しか医者になれないのに、そこに10,000人集まってしまえば、9,900人が涙を飲むことになる。

これは、子供達のためにも、国のためにも得策ではない。

ある程度は制限を設ける必要がある。

【対策】進路を選択する際に、難易度を明示する

この対策としては、「進路を選択する際に、難易度を明示すること」が有効だろう。

これは、今の教育でもそうなっている。正確には、予備校や塾などが示してくれている。

 
基本的には、同じにすればいい。

例えば、進路を選択するのが高校1年生のときであれば、そのときに難易度を明示すればいい。

 
現状の学力との差が大きければ、自ずとその道とは違う道へと歩み出す。

 
ただ、学力差が大きいからといって、他者がその道を閉ざしてしまうのはよくない。例えば、先生や親などが。

そんなことをしてしまったら、日本人の中から「チャレンジ精神」が消え去ってしまう。

チャレンジは相応のリスクを負うが、その代わりに大きなリターンがある。

堅実な人生ばかり歩ませていたら、毎日がきっとつまらなくなってしまうだろう。

そんな人が増えれば、社会全体がつまらなくなってしまう。

学校を選べなくなる

オンライン授業であれば、わざわざ遠くの学校に行く必要はない。

今の小学校、中学校スタイルだ。

だが、この仕組みだと学校を選べなくなってしまう。

 
ずっと家の近くにいることになる。

人との交流関係も限られてしまうし、それではつまらないだろう。

【対策】学力で学校を決めれるようにする

学生の本分は「勉強」なので、「学力」で高校や大学を決められるようにした方がいいだろう。

今までと同じだ。

ただ、個人的には「入試」よりも普段の成績を重視すべきではないかと思う。

そちらの方が、日頃から勉強に身が入る。

先述のように、定期テスト自体を「全国共通」にしておけば、入試の代わりに使える。

大学に進学する時期がバラバラになる

進度がバラバラになるということは、大学に進学する時期もバラバラになるということだ。

 
学力の高い生徒は、どんどん進んでいってしまう。例えば、15歳で大学に進学してしまうなど。

つまり、飛び級だ。

 
私はそれでいいと思う。

優秀な人はどんどん先に進んでいけばいいのだ。海外では普通のことだ。

 
今までだったら、飛び級すると少々厄介なことになっていた。

例えば、高校1年生のときに1年間飛び級したら、高校2年生の中に混じって授業を受けることになる。

だが、オンラインであれば、飛び級しても同年代の人達と同じ部屋で授業を受けることができる。

 
他にも「文化祭や修学旅行、部活などはどうするのか?」といった問題もあった。

これに関しては、高校でも大学の講義をオンラインで受講できるようにしておけばいい。

高校に在籍しながら、大学の授業を受けることができる。

 
ただし、これらが可能なのは、1、2年の飛び級の場合だけだ。

大学3年生にもなると実習などの授業が入ってくる。

現地まで赴かねばならない。そうするともうお手上げだ。

「文化祭や修学旅行、部活」などには参加できなくなってしまう。

 
だが、代わりに他の経験ができるようになる。

「文化祭や修学旅行、部活」がなぜ楽しいかといえば、仲間達といっしょに何かをやるからだ。

大学だったら大学の仲間達と何かをやればいいし、社会人だったら社会人の仲間達と何かをやればいい。

その経験は、文化祭や修学旅行、部活にも勝るとも劣らないはずだ。むしろ、自由度が大きい分、こちらの方が楽しいかもしれない。

 
ここまでは、飛び級をするような生徒について説明してきたが、逆のパターンもあり得る。

つまり、どんどん遅れてしまう人が出てくることだ。

 
だが、今の教育のように無理矢理進めて、落ちこぼれさせてしまうよりはいいと思う。

時間がかかっても必要なことを学んでから社会に出る。

本人にとっても、社会にとってもいいはずだ。

 
というよりも、現時点でそのような生徒は既に存在している。それは浪人生だ。

浪人生は同学年の子供達より、1年、もしくは、2年以上遅れてしまう。

だが、多少遅れても、しっかりと学力を身につけておけば、社会人になってから巻き返すことができる。

 
もし、遅れるのがイヤであれば、勉強する科目を減らすという手もある。

例えば、5科目勉強していて遅れているのであれば、4科目にする、など。

 
ただ、自分の目指す道からは外れてしまうだろう。

時間がかかっても夢に向かって進んでいくのか、時間通りに進んで夢をあきらめるのか。

それは自分で選ぶことができる。

学力格差が生まれる?

進度がバラバラになるということは、学力格差も生まれやすくなる可能性がある。

例えば、進度の速い人は良い企業に就職しやすい、など。

 
だが、格差なんて今もあることだ。

というより、格差がない社会なんてあり得ない。

人が2人いれば、何かしら差がある。

 
だが、オンラインにすることで、逆に「学力格差」による影響が少なくなるのではないかと考える。

 
今までの教育は「5教科絶対主義」だったので、みんなが同じような教育を受けさせられていた。

同じ条件であれば、学力が高い人が有利になる。

 
だが、オンラインにすれば、わざわざ「5教科絶対主義」に頼らなくてもいいのだ。

例えば、英語1教科だけに絞って、「英語だけは誰にも負けない」、そんな力を身につければ強い武器になる。

5教科とは別のこと、例えば、「プログラミング能力」を鍛え上げれば、それが武器になる。

 
学力に自信がある人は学力を武器にすればいいし、学力に自信がない人は他のことを武器にすればいい。

オンラインであれば、そんな個性ある教育が可能になる。

5教科の学力にこだわる必要はないのだ。

進捗管理が難しくなる

「進捗管理が難しくなること」もデメリットだ。

 
今までは、良くも悪くも「横並び」だった。

だが、オンラインにすれば、どんどん進む生徒もいれば、ゆっくりと進む生徒もいる。

しかも、一本道ではなく、無数に分岐していく。

 
今までのような進捗管理はできなくなる。

【対策】進捗状況を一覧表にする

進捗状況を一覧表にすればいい。

先述のマニュアル化が上手くできれば、スタートからゴールまでの道筋がわかるようになる。

それを一覧表にしておき、先生が進捗管理をすればいい。

強制力が失われる

強制力が失われることもデメリットだ。

「横並び教育」の場合、周りが進めば、嫌でもついていくしかない。

遅れれば、先生から鞭(ムチ)を打たれる。

つまり、強制力があった。このことはデメリットに思われるかもしれないが、とても重要なことだ。

 
勉強のように自主的にやりにくいものは、誰かに引っ張っていってもらうことも重要だ。

【対策1】先生に引っ張ってもらう

一番効率的なのは、先生に引っ張ってもらうことだろう。

 
子供にとって大人はやはり怖いものだ。

先生が心を鬼にして引っ張っていけば、子供達もついていかざるを得ない。

 
先生の負担が増えるかもしれないが、授業にかかる時間が減る分、生徒に使える時間が増えるはずだ。

【対策2】3人1組のチームを作り、生徒達が自主的に引っ張り合う

とはいっても、やはり先生の負担が大きくなりすぎてしまうだろう。

そもそも、強制的にやらされるとモチベーションが下がってしまう。

 
本来であれば、生徒自身が自主的にやった方が好ましい。

 
だが、生徒1人で進捗管理をするのは困難だ。

ならば、複数名でチームを組ませればいい。

例えば、3人1組のチームを作るなど。

 
そのうちの1人をリーダーにして、他の2人の進捗を管理させる。そして、担任の先生と状況を共有する。

そんな仕組みにすればいい。

 
この「3人」というのが重要だ。

バランスをとりやすい。三権分立のイメージだろうか。

それに、大人数ではないので身軽で動きやすい。

 
2人だとケンカしてしまったらそこで終了だし、4人以上だと動きが遅くなるうえに、グループ内分裂を起こしやすくなる。

だから、「3人」がいいのだ。

仲間意識も生まれやすい。

 
リーダーは、リーダーに任命されることで責任感を持ちやすくなる。

リーダーが頑張れば、残りの2人も協力してくれる。

あくまで理想論だが、そのようになりやすくなるのは間違いない。

定期的にメンバーを入れ替える

ただ、同じメンバーだとマンネリ化してしまうので、定期的に(1ヶ月くらい毎に)、メンバーを入れ替えれた方がいい。リーダーも。

より多くの人と触れ合う機会が増える。

 
このことは物凄く重要に思う。

社会人になれば同じような状況に出くわすからだ。

社会人の仕事場では、自分がリーダーの場合もあるし、他の人がリーダーで自分がサポートする場合もある。

初対面の人と仕事をいっしょにすることもある。

 
学生のうちにこれらの経験を積んでおけば、社会人になってからもスムーズに対応できるようになる。

というより、今の教育体制ではこのような体験が少なすぎる気がする。机に座って授業を受ける時間がほとんど。つるむメンバーはいつもと変わらない。

それでは社会人になってから困ることになる。

男女を混ぜる

あと、男女も混ぜるべきだ。2対1、もしくは1対2で。

学生の頃は、男子は男子、女子は女子、のように分かれやすい気がする。

それが社会人になって、急に交わり出せばトラブルが起きるのは当然だ。

離婚率が高くなっている原因の1つのようにも思う。

 
男性と女性は、学生のうちからもっと互いに交わって理解し合うべきなのだ。

そうすれば、社会人になってからの男女間トラブルは減るだろう。(おそらくだが・・・)

 
だが、学生の男女間の「過ち」だけには注意する必要がある。そもそも、そういった教育も現代は少なすぎるように思う。

そういった教育もしっかりとすべきなのだ。

 
余談になるが、私はこの「過ち」という言葉に引っかかってしまう。

子供が生まれることは「過ち」ではない。むしろ、素晴らしいことだ。

本来は非難されるべきことではない。つまり、おかしいのは子供達ではなく、今の社会だ。

 
今の社会は子供の自立が遅すぎる。大学卒業後に就職するとすれば、22歳でやっと自立することになる。

そんなのんきな動物はいない。

 
江戸時代では、男は15歳で成人の仲間入りをしたと言われている。たしかに、バリバリ働けそうなのは、高校生の頃のように思える。

一番元気があるときに、ガリガリと勉強するのは少しもったいない気がする。

 
これからは、少しずつ社会が変わっていくのではないだろうか。

高校生の年齢で起業してバリバリお金を稼ぐ。そんな人達が増えてくるような気がする。

 
それらの人も、子供を作ってしまったら非難されるのだろうか?自立しているのに。

その答えはわかりかねるが、おそらく、少なからず非難する人がいるのだろう。変な世の中だと感じてしまうのは私だけだろうか?

 
ちなみに、「過ち」を推奨しているわけではないことをご了承頂きたい。今の社会では自立が難しいので、「過ち」を犯すべきではない。親子ともに後悔することになる。

オンライン授業は苦手?

「オンライン授業は苦手・・・」

オンライン授業を受けたことのある人の中には、そんな人もいるだろう。

 
おそらく、そうなってしまうのは、「授業のレベルが合っていなかった」もしくは「先生との相性が悪かった」のだと推察される。

今まではオンライン授業といっても、選べる選択肢はそれほど多くなかった。

 
だが、教育体制が「オンライン」に移行すれば、講座や先生の数も自ずと増えてくる。

自分に合う講座・先生を見つけやすくなる。

 
基本的には、オンラインの方が授業を受けやすくなるはずだ。

体育や音楽などの授業ができなくなる?

みんなみんなバラバラに授業を受けていたら、体育や音楽などの授業ができなくなってしまう。

だが、これらは今まで通りに、「13時から14時の間は体育」などのように決めればいいだけだ。

 
これはオンラインに限った話ではないのだが、昼一の授業は、実習系の授業にした方が良いと思う。

昼食後に座って授業を聞いていたら、高い確率で眠気が襲ってくる。これでは非効率だ。

 
午前中はオンライン授業、午後は実習系の授業、時間が余ったら、再びオンライン授業。そんな仕組みが良いのではないかと思う。

規律を保てなくなる?

今の教育は、日本社会の「規律」を保たせる目的もある。

今の日本の教育は「軍隊式教育」ともいえるだろう。

 
決まった時間に登校し、決まった時間に昼飯を食べて、決まった時間に下校する。

授業中は立つことも許されず、しゃべることも許されない。

髪の毛の色は黒色で、衣服なども校則に従うことになる。

ほとんど自由がない。

刑務所のようにも思える。

 
だが、それと引き換えに「規律」を大切にする心が生まれているように思う。

私個人的にはこのやり方は好きではないのだが、国の規律や治安を維持するうえでは、やはり重要なことのように思う。

 
オンライン授業にしたとしても、同じような環境を創り上げることはできる。

オンライン授業の間は、監督者が目を光らせればいいだけの話だし、体育や音楽など集団で行動するときには、今までと同じように厳しくすればいいだけだ。

 
だが、やはり今の教育はいささかやり過ぎのように思う。

「規律」を守れる代わりに、「個性のない機械のような社会人」を大量に造り出してしてまっているような気もする。

学校にいるうちの半分はビシバシと、もう半分は自主性を重んじる、そんな教育に変わることを願っている。

 
例えば、オンライン授業を受講している間はビシバシと、それ以外の「実習系の授業」では、自主性を重んじるようなこと(仲間達と何かを造る、自分で何かを研究する、など)をやっていけばよいのではないかと考える。

宿題の管理ができなくなる

進度がバラバラになれば、宿題の管理ができなくなる。

だが、私は、そもそも宿題なんてなくせばいいと考えている。

子供達に宿題を出すのは酷すぎるのではないか。ついそう感じてしまう。

 
これを社会人に置き換えて考えてみればいい。

仕事が終わった後に、「じゃあ、家でこれを宿題でやってきて」と上司から言われたらどう思うだろうか?

しかも毎日別の宿題が出るのだ。長期休暇に入ろうものなら大量の宿題を出される。

いつ休めばいいのだろうか?

 
おそらく、企業がそんなことをしたら「ブラック企業だ!」と訴えられるだろう。

だが、子供達に同じことをしているのだ。

 
それに学生は社会人ほどヒマではないのだ。

授業が終わった後には、部活や生徒会などがある。家に帰れば、塾などの習い事がある。授業の予習や復習もある。

そこに宿題を出すのはさすがに酷すぎるのではないだろうか。ブラック企業どころか超ブラック企業だ。

 
だが、一方で宿題にメリットがあることも確かだ。

例えば、漢字を練習する、計算を練習する、英単語を覚える、などの基礎練習は各自でやるべきものだ。

 
だったら、学校にいる間に宿題をやらせればいい。

宿題が終わった人から帰る。そんな仕組みにすればいい。

宿題をやってこなくて怒られる、なんてことはなくなる。

 
宿題の時間が30分かかるのであれば、代わりに他の授業の時間を30分減らせばいいだけだ。オンライン授業ならそれも容易になる。

 
あと、宿題は進度ごとに分けずに共通のものをやらせればいい。基礎は進度に関係なく重要だ。

回線が逼迫(ひっぱく)する

日本中の学生が同時間帯に一斉にインターネットにアクセスしたら、おそらく、回線が逼迫するだろう。

コロナウィルスの際に、テレワークやオンラインの需要が増えた際に、そのような声が挙がっていた。(実際はそれほどでもなかったようだ。)

 
もし、逼迫するのであれば、学校にデータを蓄積しておいて、生徒達はその蓄積されたデータを学内ネットワークから入手する。

そんな仕組みが出来れば解決できるように思う。

 
ただ、家でも勉強したい人はいるだろう。

自宅から学校にアクセスできる仕組みも重要だ。(私は、回線についてはそれほど詳しくないので、回線を逼迫させずに実現できるのかはよくわからないが・・・)

移行に時間がかかる

「オンライン授業にするぞ」

となっても、すぐには移行できないだろう。

かなり時間がかかると思われる。

 
設備を整えるのもそうなのだが、ルール作りにも時間がかかる。

そして、何より教える先生の準備に時間がかかる。

 
対面式授業とオンライン授業は似ているようで全く異なるのだ。

 
対面式授業には、対面式授業のやり方がある。

生徒の表情が見えるので、様子を見ながら授業進度を早くしたり、遅くしたりできる。例えば、生徒がポカーンと口を開けていたら、ゆっくり説明するなど。

また、生徒との対話することによって、クラス全体に一体感を作ることができる。

 
だが、オンライン授業ではそれらができないのだ。いや、上手くやればできるのかもしれないが、対面授業のようにスムーズにはなかなかできない。

 
オンライン授業と対面授業は似ているようで、全くの別物なのだ。

もし、オンライン授業にするのであれば、授業構成を一から練り直す必要がある。

 
もし、私が「明日からオンライン授業をしてくれ」なんて言われたら、おそらく胃に穴があいてしまう。

寝不足で倒れてしまう可能性もあるし、そうならなくても、準備が中途半端なまま授業に突入してしまう可能性もある。

 
準備ができないまま授業に臨むことほど悲惨なことはない。

授業がわかりづらければ、生徒の顔はどんどん暗くなっていく。まるでお通夜のように。

生徒も、私も、苦痛な時間を延々と過ごすことになる。

 
実際、過去にそのような経験をしたことがある。そんな思いは二度としたくないのだ。

つまり、「明日からオンライン授業をしてくれ」なんて言われた日には、私の胃は穴があくしかない。

 
オンライン化にしようとすれば、それなりに時間が必要だ。

だが、国に任せていたらおそらく何年もかかるだろう。

 
もし、早急に対応していくのであれば、現在既にあるオンライン授業を活用させてもらえばいい。

例えば、有名予備校の映像授業など。

 
私は職業柄、色んな先生の授業をみるのだが有名予備校の先生の授業は別格だ。

わかりやすいし、おもしろい。

 
下手な対面授業を受けるよりも、それらを見た方がはるかに成績が伸びるだろう。

少しずつ変えていくしかない

いきなり全部変えてしまうのは、リスクが高い。というより無理だろう。

 
やはり、最初は少しずつ変えていくしかない。

例えば、各県に1校だけオンライン学校を設置するなどだ。

 
1校だけであれば、設備なども整えやすいし、トラブルがあったときも対応しやすい。

そして、そこで少しずつノウハウを蓄積し、ある程度形になったところで、少しずつ校舎を増やしていくといった感じだろうか。

 
ただ、初めのころに入学する生徒には、リスクを負わせることになる。上手くいかない可能性がある。

逆に言えば、大成功する可能性もある。ハイリスクハイリターンだ。

改革の初期は、被害者が出る可能性がある。これはどうしようもない。

 
上手くいかなかったときのために、何かしらの保証をつけてあげればいい。

例えば、失敗した暁には、国家公務員として必ず雇うなど。

 
ただ、それでは応募者が偏る可能性があるので、無作為に生徒を抽出して入学可否を確認する方法が好ましいだろう。

職を失う先生が出てくる

このように変われば、学校や塾の先生などが職を失うかもしれない。

 
このような大変革が起こったときには、繁栄する職業もあれば、衰退する職業もある。

これはある程度は仕方のないことだ。

 
だが、教育を抜本的に変えなければ、国全体の経済力が衰退する可能性がある。

変えようが変えまいが、衰退する可能性があるのは同じなのだ。

 
だが、工夫次第で繁栄させるチャンスもある。

例えば、塾であれば、「対面式授業」の希少価値が高まる。対面式授業には対面式授業の良さがある。

上手くやれば、今まで以上の生徒が来塾することになるだろう。

 
学校の先生が職を失うことはまずないだろう。そもそも、授業以外にもやることが多い。授業がなくなるくらいがちょうどいいのかもしれない。

デメリットまとめ

このようにオンラインにするデメリットは数多くある。

だが、デメリットは視点を変えたり、工夫することでなんとかなるものだ。

そもそも、どんな教育体制にしてもデメリットは必ずつきまとう。

 
だが、教育水準が下がり、経済力が下がってしまえば、デメリット云々の話ではない。

 
ある程度のデメリットを受け入れて変わっていくしかない。

まとめ

オンライン授業にすべき理由やデメリットの対策案などについて紹介した。

だが、オンライン授業は、あくまで一つの案だ。

オンライン授業になどしなくても、今の教育体制をもっと素晴らしいものに変える案もあるだろう。

 
1つだけ言えるのは、今のままではダメということだ。

今のままにすれば、困るのは今の子供達やこれから生まれてくる子供達だ。

 
しかし、「教育体制を抜本的に変えよう!」と提案しても、賛同してくれるのは極々わずかだろう。

多くの人は現状維持を望んでいる。変化を恐れているともいえる。基本的には誰も変わりたくないのだ。

 
「改革反対派」が大多数を占める限り、何も変わらないだろう。

少なくとも私一人が何かを言ったところで何も変わらないのだ。

 
だが、あえて私はこの記事を書いた。

このように記事を書くと、誰かが読んでくれる。

少なくとも、その誰かに私の思いが伝わる。

その誰かが共感してくれれば、他の誰かにその思いを伝えてくれる。

 
「塵も積もれば山となる」という諺(ことわざ)があるように、小さな積み重ねも次第に大きくなっていく。いつかは改革に貢献できる。

そんな思いでこの記事を書いた。

もし、この記事の内容に賛同されたのであれば、ぜひ、その思いを他の人にも伝えて欲しい。

 
何度も言うが、今の教育体制は素晴らしい。だが、未来を考えたときに、今の教育体制のままではダメなのだ。

 


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