「競争心がない人」と「競争心がある人」の違いは?
「競争心がない人」と「競争心がある人」の違いは?
「競争心」
この言葉に対して抱く感情は肯定的だろうか?それとも否定的だろうか?
日本では「和」を美徳とする風潮がある。「みんなで、いっしょに、仲良く」が合言葉。
それゆえ「競争心」を剥き出しにすると疎まれることが多い。出る杭は打たれてしまう。
結果として、日本では競争心がない人が増えていく。
いや、「競争心がないように偽っている人が増えていく」の方が正しいかもしれない。
しかし、「競争心がない」ことは「善」なんだろうか?
おそらく、そんなことはない。
なぜなら、どんなものにも「定員」があるから。
世の中は椅子取りゲーム
世の中には必ず「定員」がある。限られた席をみんなで奪い合っている。
子供の頃にやった「椅子取りゲーム」に似ている。
例えば、結婚
例えば、結婚。
現代の日本では、結婚できる相手は1人。どんなに素敵な異性がいても、その1枠を手に入れることができなければ、その人とは結婚できない。
もし、一夫多妻制(一妻多夫制)だとしても、定員はやはり存在する。1,000人の異性と結婚するのは不可能。会う時間がないし、そもそも、そんなに大勢の異性を惹きつけることはできない。(芸能人のような一部の人はできるかもしれないが・・・)
愛人枠も同じ。1,000人も愛人がいたら、自分を含めた関係者全員が苦痛を味わうことになる。
結婚の定員の基本は1人だし、愛人枠のようなものがあったとしても、2~3人が関の山。
受験も同じ
受験も同じ。受験には必ず「定員」がある。
その定員に入れば合格、入れなければ不合格。
まさに椅子取りゲーム。多くの人は、子供の頃から半強制的にこのゲームに参加させられる。
何事にも定員が存在する
結婚や受験に限らず、何事にも定員が存在する。
料理の美味しいお店に行きたくても、満席なら料理を食べることはできない。
出世したくても、その席を他人に取られてしまえば、出世することはできない。
何気なく住んでいるこの日本にも定員がある。
日本の人口は約1億人。それに対し、世界の人口は約70億人。
70億人全員が日本に住むことはできるだろうか?
おそらく、できない。
住む場所もなければ、食料も足りない。ガスや電気などのエネルギーも足りない。
このように普段意識しないところにも「定員」は存在する。
競争心がないと・・・
競争心がないと、これらの「限られた席」を他の誰かに奪われたり、譲ったりすることになる。自分自身はどんどん端へ端へと追いやられていく。
現代の日本では「自己犠牲の精神で素晴らしい!」と称賛されるかもしれない。
でも、そんな人生で良いのだろうか?
好きな人との結婚枠を他人に譲って、自分はあきらめる。夢につながる席を他人に譲って、自分はあきらめる。
おそらく、多くの人はそんなことは望んでいない。
つまり、人間にとって「競争心」は大切な感情。「競争心」を失ってはいけない。
競争心を持つと、周りが圧力をかけてくるかもしれない。しかし、その理由は「自分よりも目立つのは許さない」という自己中心的でネガティブ感情によるもの。そんなものに屈してはならない。
「競争心がある人」と「競争心がない人」の違いは何なのか?
競争心がある人もいれば、競争心がない人もいる。
「競争心がある人」と「競争心がない人」の違いは何だろうか?
それは、負けたくない相手がいるかどうか。この1点に尽きる。
競争心を持ちたければ、負けたくない相手を見つければいい。
1人では競争できない。自分以外の他人がいて初めて「競争心」が生まれ得る。
では、「負けたくない相手」をどのように探せばいいのだろうか?
「自分にとって大切なこと」の中から生まれる
「負けたくない相手」はどこにでも出没するわけではない。
「自分にとって大切なこと」の中から生まれる。
例えば、自分にとって興味のない人が結婚しようがしまいがどうでもいいこと。そこからライバル心が生まれることはない。
一方、自分にとって大切な人(好きな人)が結婚するとなれば、心穏やかではいられない。
結婚に限らず、
「大切な人に認められたい」
「自分の夢を実現したい」
このような場面で出会う人物が「負けたくない相手」になり得る。
相手との差があり過ぎると・・・
ただ、相手との差があり過ぎるとライバルにはなり得ない。
例えば、100m15秒で走れる人は10秒で走る人をライバルだと思わないし、20秒で走る人をライバルだとは思わない。
頑張ればなんとか勝てそうな人、油断すると負けそうな人。
つまり、実力がそこそこ対等な人が「負けたくない相手」になり得る。
競争心が「ない状態」から「ある状態」にするには
つまり、競争心が「ない状態」から「ある状態」にするためには「負けたくない相手」を見つければいい。「負けたくない相手」を見つけるには次の2つを実践すればいい。
- 「自分にとって大切なもの」を見つける
- その中で「実力が拮抗している人」を見つける
「自分にとって大切なもの」を見つけるのは意外と難しい
ただ、「自分にとって大切なもの」を見つけるのは意外と難しいかもしれない。
例えば、素敵な異性を見つける場合。
普通に過ごしていれば、1日で出会う異性なんて限られている。おそらく、多い人でも数十人程度。少ない人は全く出会わないかもしれない。
出会ったとしても、その中に気になる異性がいるとは限らない。
そのうえ、魅力的な異性の席は早めに売れてしまう。
素敵な異性に限らず、魅力的な席はどれも早めに売れてしまう。
出会う機会がどんどん減っていく。「自分にとって大切なもの」を見つけるのはなかなか難しい。
「自分にとって大切なもの」を見つけるためには
「自分にとって大切なもの」を見つけるために必要なのは「運」と「行動力」。
「運」の良い人は何気ないタイミングで「大切なもの」に出会うことができる。
しかし、「運」なんてコントロールできるものではないし、鍛えられるものでもない。「運」に頼るのはおススメできない。
おススメなのは、どんどん行動すること。
1日に出会う異性を10人から100人に増やせば、素敵な異性に出会える確率は高まる。
仕事も同じ。色んな場所に行って、色んな経験をすれば、自分にとって魅力的な仕事に出会う確率も高くなる。
もし、今までの行動範囲の中で「大切なもの」に出会っていないのであれば、行動範囲を広げることをおススメする。
婚活中であればどんどんコンパに行けばいい。サラリーマンであればどんどん転職すればいい。学生であれば職業体験の機会などを増やせばいい。
じっとしていたら「大切なもの」に出会うことはできない。
「大切なもの」が見つかれば「実力が拮抗している人」も見つかる
「大切なもの」が見つかれば、自然と「実力が拮抗している人」も見つかる。
自分にとって魅力的なものは、他人にとっても魅力的であることが多い。
つまり、「大切なもの」の周りには、すでに大勢の人が集まっている。その中からライバルを見つけるのは難しいことではない。
大事なのは「行動範囲を広げること」
つまり、「競争心」を高めたければ、行動範囲を広げればいい。
色んな人に出会う。
色んな仕事に出会う。
色んな文化に出会う。
この記事を読んで下さっている方は、もしかしたら「自分自身」というよりも、「子供」や「部下」、「生徒」などの「競争心がない」ことでお困りなのかもしれない。
もしそうであるならば、まずは「行動範囲を広げさせる」ことをおススメする。現時点で「競争心がない」ように映るのであれば、「鳥かごの中の鳥」のような状態になっているのではないだろうか?
いつも同じようなことばかりやらせている。
でも、エサ(ご飯や給料)には困らない。
このような環境下で「競争心」を持たせることは限りなく難しい。
今の日本で、競争心がなくなるのは自然な流れなのかもしれない。だけど・・・
今の日本で、競争心がなくなるのは自然な流れなのかもしれない。
しかし、その流れに乗ってしまうと、敗北者としての道を進むことになる。負け犬として生きていくことになる。
自分が負け犬であることを認めてしまうと、どんどん落ちぶれていく。
あまりおススメはできない。
もちろん、失敗することもある。負け犬になるときもある。
でも、そこでめげずにチャレンジし続ければ、いつかは負け犬から脱却できる。
競争心を剥き出しにすべきかどうか
競争心を持てるようになったとしても、1つ問題が残る。
それは「競争心を剥き出しにすべきかどうか」。
冒頭でも紹介したように、競争心を剥き出しにすれば、他人から疎まれることが多い。日常生活が息苦しくなるかもしれない。
でも、疎んでくる輩を想像してみて欲しい。どちらかと言えば、負け犬的な存在ではないだろうか。勝負をあきらめてしまった人など。
その人達に人生を振り回されるのは得策ではない。
とはいっても、わざわざ他人を不快にさせる必要もない。
おススメなのは、ポーカーフェイスで心の中で沸々と競争心を燃やすこと。
腹黒いと言われてしまうかもしれないが、一番無難だと思われる。
冒頭で「競争心がないように偽っている人」とも表現したが、ポーカーフェイスとは少しニュアンスが異なる。
「競争心がないように偽っている人」は「心が折れてしまった人」「あきらめてしまった人」といったイメージ。
一方、ポーカーフェイスの場合は、隠しても隠し切れない雰囲気が漂い、顔つきや目つきに現れてくる。そんなイメージ。勘の良い人にはバレてしまうのである意味、下手くそなポーカーフェイスともいえる。
競争心を大切にしよう
競争心は人間にとって大切な感情。
この感情が自分自身の成長を促してくれる。また、他人と競争しているときは充実感があるし、純粋に楽しい。
競争心を大切にすることをおススメする。