社畜から脱却する方法。自己研鑽が未来を拓く

社畜から脱却する方法。自己研鑽が未来を拓く

自己研鑽が未来が拓く

自己研鑽とは「じこけんさん」と読み、「自分自身のスキルや能力などを鍛えて磨きをかける」という意味です。自己研鑽をしていくことで、自分の望む未来を掴みとれるようになります。

現在、何かしらの集団に属しているはずです。例えば、学校会社、もっと広い意味で考えると、日本という集団です。これらの集団に属している場合、自己研鑽をしないと、自身の存在が集団の中に埋もれてしまいます。

その結果、自身の存在は、他人の利益のために生きていくことになります。「自己犠牲の精神」と捉えることもできますが、その代償として、自身の自由や望む未来は失われていきます。会社という集団に属している場合には、「社畜」として生きていくことになります。

社畜への道のり

会社というのは基本的に、「社長や経営陣の利益を生み出すため」、もしくは、「社長や経営陣の自己満足のため」に存在しています。社会の貢献のため、世のため人のために存在しているという人もいるかもしれませんが、そんなものは、社長や経営陣の自己満足でしかありません。多くの社員は自分が生きていくため、家族を守るために働いているはずです。

人が2人いれば、ベクトルが完全に一致することはありません。力の強い方に強制的に引っ張られることになります。社長と上司がいれば、上司は社長のベクトルに従わざるを得ません。そして、上司と部下がいれば、部下は上司のベクトルに従わざるを得ません。そして、部下は「社長や経営陣の利益や自己満足」のために働くことになります。

このようにして、会社の家畜、社畜が出来上がっていきます。社畜に自由などありません。やりたくなくても、言われたがままにやることになります。自分のためではなく、上司のため、会社のために生きていくことになります。

社畜から人へ

社畜から脱却したい!」でも「会社を辞めて独立まではしたくない・・・」という方におススメなのが次の2つの方法です。

1つ目の方法は、自分と限りなく同じベクトルを持った社長や経営陣がいる会社に就職・転職することです。「自分のやりたいこと」と「会社の方針」が一致していれば、自分もやりたいことができるし、会社も発展する。win-winの関係になることができます。

しかし、このような相思相愛の会社が見つかるとは限りません。

 

2つ目の方法は、自分のベクトルを大きくすることです。自分のベクトルを大きくすれば、上司のベクトルを自分のベクトルに従わせることができます。上司が少し可哀そうに感じるかもしれませんが、そんなことはありません。自分のベクトルを大きくすることで、会社への貢献度が大きくなります。自分の手柄は、上司の手柄でもあります。つまり、自分のベクトルを大きくすることは、自分にも、上司にも、会社にもプラスになります。

上司を圧倒する実力をつける

上司は部下よりも経験豊富で、実力があることが一般的です。つまり、上司は自分に自信を持っています。その自信が「部下を奴隷のように扱っていい」という傲慢な考えを生み出します。

しかし、会社にとってこの上司は「」です。なぜなら、上司の方が利益を生み出してくれるからです。会社にとっては「人格者」より「利益を出してくれる人」の方が嬉しいわけです。(このことが不祥事につながることもありますが・・・)

社畜から抜け出すためには、上司よりも実力をつける必要があります自分が上司よりも利益を生み出せるようになれば、会社にとっての「」は自分に変わります。そして、上司も自分の言うことを聞かざるを得ません。

ただし、上司よりも少し実力をつけるだけではダメです。厄介な上司ほど自分のことを過大評価しています。少し実力をつけただけでは認めてもらえません。上司を圧倒する実力をつける必要があります。

もちろん、普通に働いているだけでは上司に勝つことはできません。自己研鑽をする必要があります。

自己研鑽をして自分の自由を勝ち取るか、自己研鑽をせずに社畜として生きるかは、自分で選ぶことができます。

日本では社畜になるように仕組まれている

そもそも、「社畜になるのはイヤだ!」と思う人は多いはず。でも、どんどん「社畜」が生産されています。

これは、普通に暮らしていると、社畜になるように仕組まれているためです。例えば、学校を考えてみてください。学校は刑務所のようなものです。

学校は刑務所のようなもの

朝は決まった時間に登校して、受けたくもない授業を強制的に受けさせられる。昼食も決まった時間、帰る時間も決まった時間。授業中は椅子にじっと座って私語は禁止。先生の言うことには従わなくてはならない。学校にいる間は、自由など存在しません。刑務所のようなものです。

このように、自分の自由が奪われている場合には、必ず誰かの利益が発生しています。この場合、利益を受けているのは、日本という国です。規律を教え込まなければ、日本全体が無秩序になり、悲惨なことになります。教育を教え込まなければ、今後の日本を発展させていくような人材が育ちません。この制度は、日本という国を維持していくうえで、素晴らしいものですし、必要なものでもあります。

学校は社畜予備軍の生産工場

しかし、学校は、社会でそこそこ働ける人を大量に生産する、社畜予備軍の生産工場とも捉えることができます。規律を重んじ、上の人に従う。会社にとってはうってつけの人材です。会社が発展すれば、日本が発展する。日本にとっては「社畜万歳」です。

日本は「小学校→中学校→高校→大学→会社」のルートに乗せようとします。そして、ほとんどの人は子供のころから「社畜行き」の電車に乗せられてしまいます。

日本という社会を維持するうえで、「社畜」は必要です。しかし、世の中には「社畜」と「社畜でない人」の2種類がいます。自己研鑽を積んでいくことで、「社畜でない人」になることができます。どちらを選ぶかは自分で決めることができます。

社畜はある意味幸せ。だが、当然リスクもある。

社畜はある意味幸せでもあります。社畜には自由がない代わりに、安定した生活を送ることができます。とくに何も考えずに、言われたことをやっていれば、給料をもらうことができます。

しかし、当然リスクもあります。会社の経営状態が悪ければ、簡単に切り捨てられて(リストラされて)しまいます。また、会社が倒産してしまった場合には路頭に迷うことになります。

自己研鑽が未来を拓く

社畜から人になるためには、自分が実力をつけるしかありません。実力をつければ、周りの人に従わずに、自分のやりたいことをできるようになります。また、自分が実力をつけることで、周りの人にも利益を生み出すことができます。

会社の経営状態が悪くなったとしても、実力のある人材は貴重なので、リストラになることはありません。また、会社が倒産したとしても、他の会社がすぐに拾ってくれます。

実力をつけるには時間がかかります。「脱社畜」を志す方は、今、この時点から自己研鑽を積むことをおススメします。自己研鑽を積んで、自分の望む未来を掴み取ってください。

 

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