「根性論は古い」はもう古い。憧れの人はどんな人?

「根性論は古い」はもう古い。憧れの人はどんな人?


 
根性論なんてもう古いよ

最近ではそんな考えが浸透しつつあります。

 
確かに、おかしな根性論は数多く存在します。
 

練習中に水を飲んではいけない?

例えば、「練習中に水を飲んではいけない」という、おかしな根性論が過去にはありました。

 
今の若い人達(10代、20代の人達)には信じられないかもしれませんが、こんな考えが当たり前のように浸透していました。少なくとも、筆者が学生の頃までは。(今もどこかで残っているかもしれません。)

 
筆者は野球部だったこともあり、真夏の炎天下での練習は過酷でした。

水を飲みたいけど飲めない。

 
それなのに汗がどんどん出てくる。

練習がハードなので、吐いてしまうこともある。

体の外側からも内側からも水分が奪われていく。

 
今振り返って考えると、病院送りにならなかったことが不思議なくらいです。(他人のスパイクが自分の足に突き刺さったり、膝の靭帯が断裂したりと、別の意味で病院送りになったことはありますが・・・)

常識は時代とともに変化していく

「炎天下で練習中に水を飲んではいけない」なんて考えはあきらかにおかしい。

そのせいで熱中症になるかもしれないし、最悪の場合、死に至るかもしれない。上手くなるためにやっているはずの練習が、逆効果になっている。

 
普通に考えたら、そんなことわかるだろ!昔の人達の頭の中はいったいどうなってるんだ!

と責めたいところですが、人は常識に捉われてしまうもの。当時はそれが常識だったので仕方ありません。

 
「厳しい環境下を耐え抜く精神力が必要だ!」という意図だったのではないかと推察されます。たしかに、ひと昔前までは戦争などが頻繁に起こり、過酷な環境だったので強靭な精神力が求められたはず。

そう考えると、時代遅れの考えを責める気も起こりませんし、平和な現代をありがたく思います。

 
それに、現代の私達が常識だと思っていることも、数年先の人達に「昔の人達はバカだな」と、きっと笑われてしまう。

 
 
そして今、1つの常識が浸透しようとしています。

「根性論なんてもう古い」という常識。

 
筆者も概ね賛成ですが、気がかりなことがあります。

それは、「根性」自体が悪者にされつつあること。

「根性」が必要なときもある

昨今の世の中で「根性でなんとかしろ!」なんて言おうものなら、大バッシングを受けます。「考えが古い」「パワハラだ!」など。

 
ですが、「根性のおかげで達成できること」もあります。

例えば、富士山の山頂まであと100m。体は疲れきっている。足もほとんど動かない。そんな状況で登頂できるかどうかは、もはや根性次第。技術論なんて全くの無意味です。

「根性論は古い」を逃げの口実に使ってしまう

「根性」という言葉が使われるのは、辛かったり、きつかったりする場面。

多くの人は、できればそこから逃げ出したいわけです。

 
そこに「根性論は古い」という助け舟が現れる。

あと少しでゴールに辿りつけるのに、その舟に乗って逃げてしまう。

 
「根性論はもう古い」という考えの人達は、「別にゴールに辿り着けなくたっていいじゃないか」と言うかもしれません。

でも、その感情は本当でしょうか?

憧れの人はどんな人?

憧れの人、感動させてくれる人はどんな人でしょうか?

スポーツ選手、芸能人、ユーチューバー、身近な人。

色んな人がいると思います。

 
では、その人達はなぜ輝いているのか?

 
それは当然、「とてつもない努力」をしているから。

もちろん、才能もあるとは思いますが、才能だけで他人を感動させることはできません。

 
辛い思い、きつい思いをしている。でも、やり抜いている、耐え抜いている。

まさに「ド根性」を持っている。

 
「根性論なんて古い」なんて言いながら「ド根性」を持っている人に憧れる。

明らかに矛盾しています。

 
つまり、心のどこかで「根性」は必要だと気付いている。でも、気付かないフリをしている。

自分にとって必要な「根性」を見極めるべし

「根性論は古い」という考えのせいで、全ての「根性」が悪者にされている節があります。

でも実際は、自分にとって「必要な根性」もあれば、「不要な根性」もあります。

 
先述の「練習中に水を飲んではいけない」は、おそらく、多くの人にとっては不要な根性。

ですが、「自分を極限状態まで追い込みたい!」という修羅の道を歩みたい人にとっては、必要な根性とも言えます。(個人的にはあまりおススメできませんが・・・)

 
また、「憧れの人のようになりたい!だから辛い思いをしても頑張るんだ!」というのは、おそらく、多くの人にとって必要な根性。もちろん、不要と感じる人もいると思います。

 
つまり、必要な根性、不要な根性は人によって異なります。

自分にとって必要な「根性」を見極めることが重要です。

 
何も考えずに「根性論は古い」という理由で、「全ての根性」を切り捨ててしまうと、将来後悔する可能性があります。

自分の限界値を超さないように

ただ、根性、根性と言い出すと自分の限界値を超えてしまう可能性があります。その場合には、取返しのつかないことになりかねません。

 
しかし、幸か不幸か、自分の限界値を超すほど、自分を追い込める人はそんなにいません。

注意すべきは、他人に追い込まれたときです。

 
他人は、好き放題言ってきます。こちらの限界値なんてお構いないし。

他人から「根性でなんとかしろ!」と言われたら、「その考え古いですよ」と言い返して、自分の中では「根性でなんとかしてやるぜ!」と思うくらいがおススメです。

根性のある人が最後に勝つ

同程度の実力であれば、根性のある人が最後に勝ちます。

30分しか練習しない人よりも、1時間練習する人の方が強いに決まっています。

「根性論は古い」という考えは、もう古い

ただ、昔の根性論だと「うさぎ跳びを1時間続ける」などの非効率な練習になりがちです。それでは、ケガにつながりますし、そもそもレベルアップしているのかどうかもわかりません。

 
「最新の技術や知識」を取り入れつつ、「根性」も取り入れる。

「現代」と「過去」のハイブリット。両者の良いとこどり。

 
おそらく、これが今後のトレンドになっていくと思われます。

つまり、「根性論は古い」という考えは、もう古くなりつつあるということです。

今はある意味チャンス

今はある意味チャンスです。

「根性論は古い」という考えが浸透しているうちは、「根性なし」の人達が増えていくということ。

ひと昔前だったら、絶対かなわなかった人達にも勝てるチャンスがあるということです。

 
自分の夢を実現したいのであれば、「根性論は古い」と言われようが、「根性」を大切にして欲しいと思います。